創作ノート

短編小説を書いています。

エクリプスリアルム(22)

 

「あ!」

有希は思わず、動画表示の左下に設けられている“▶︎”ボタンをクリックしていた。再生は停止され、動画の中の時間は完全に静止する。

時間が止まった世界の中では、ナイフを右手に握った男は有希のすぐそばまで迫っていた。そしてその男に相対するように、男の右手のナイフを見つめたまま恐怖と驚愕で顔を歪ませたもう一人の有希の姿が映っていた。その歪んだ顔のまま、完全に動きを止めていた。

有希は忌まわしいものであるかのように、右手で握っていたマウスから手を離す。そのまま椅子から立ち上がっていた。キャスター付きの椅子が有希の体に押し出されるように後ろに滑っていき、ベッドに当たって止まった。

このあと、画面の中の自分はどうなってしまうのか……。

もしかして、このあと自分は……。

強く奥歯を噛み締める。

嫌だ……。

有希は首を小さく左右に振る。そしてそのままデスクの前を離れて、その後ろにあるベッドの上に自分の体を投げ出した。毛布を頭から被って、耳を塞ぐ。

「嫌だ……嫌だ……嫌だ……」

毛布の中で何度も何度も呟いていた。

どうして自分は未来を知りたいと思ったのだろう……。

どうして自分はあの動画の再生ボタンを押してしまったのだろう……。

有希は、未来を知りたいと思った自分自身を呪っていた。そして、未来を知りたいと少しでも思った自分自身を心の中で罵っていた。この画面に映された自分のその後の未来を知るのが怖かった。もう、未来なんて知りたくなかった。

有希は両目を強く瞑る。

だけど、毛布に包まれた暗闇の中で、先ほど目にした恐怖と驚愕で歪んだ自分の顔のイメージがどうしても消えてくれない。逆に、自分を呪うたび、自分の罵るたびに、その顔はよりはっきりとした輪郭をもって、有希の前でゆらゆらと揺らめいていた。

「お願いだから……消えて……」

有希は、そのゆらめき続ける未来の自分に向かって呟く。その声は、悲しいくらいに震えている。

その未来の自分は顔を歪ませたまま、有希に向かって、

“助けて”

と言った。有希は両耳をふさぐ手に力を入れる。だけど、その“助けて”の声は、有希の両手をガラスのようにすり抜けて有希の頭の中に響く。どんなに目を瞑っても、どんなに耳を塞いでも、その声は消えてくれなかった。

「助けて……」

今度は有希自身の口から同じ言葉が零れていた。その言葉は毛布の中で漂い、有希の耳に届く。

この助けを求める声は、誰の声なのか……。

未来の私の声なのか……。

それとも、今の私の声なのか……。

もはや、その“助けて”という言葉が誰の言葉なのかも分からなかった。

「助けて……助けて……助けて……」

有希は呟き続ける。その助けを求める声は、何度も有希の耳を通り抜けていく。その中で、ある一つの疑問が、水の底からゆっくりと顔を覗かせるかのように有希の中で徐々に浮かび上がってきた。

今の自分は、誰に助けを求めているのだろう……。

そもそも、助けが必要なのは、今の自分なのだろうか……。

そうではなくて、本当に助けが必要なのは画面に映る未来の自分の方なのではないのか……。

そして、動画の中の未来の自分を救えるのは誰なのか……。

今の自分しか、いないのではないのか……。

そのとき、何の前触れもなく、先ほど電話越しで聞いた藤田の言葉が有希の中で蘇る。

 

もしもその未来が自分の望む未来とは違っていた場合、未来を知ること自体が、その未来を変える手助けになるかもしれない。

 

そうか……。

そうなんだよ……。

有希は被っていた毛布を頭から剥ぎ取る。

そしてベッドから起き上がり、デスクの前に歩み寄る。ディスプレイの中では、顔を歪めた自分自身の顔が映っている。だけど今度は、その自分の姿から有希は目を逸さなかった。

未来の自分を救えるのは、今の自分しかいない。

未来を変えるためには、自分はこの動画を最後まで見なければならない。三日後の自分に何が起こるのか、それを今知らなければならないのだ。

有希は椅子をデスクの前に引き寄せ、静かに座る。

そして再び、右手でマウスを握った。

 

 

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エクリプスリアルム(21)

 

その映像は、どこかの街角から始まっていた。

画面右側に車道が、そして左側に歩道が映っている。

画面の右下には、以前見た動画と同じように、その映像が撮影されたと思われる時刻が“6/21/24 5:13:13 PM“と表示されていて、流れる時間をカウントしている。6月21日の午後5時13分を撮影している映像ということらしい。

日は少し傾きかかっていたが、それでも6月の日の長さの中で、まだ十分に辺りは明るかった。

道路には断続的に車が行き交っている。歩道は、時々リュック型のバッグを背負ったサラリーマンの姿や、バッグを肩から下げた女性の姿が歩いていたが、人通りは少なかった。

その街の景色に、有希は全く見覚えがなかった。街の雰囲気から、住宅街というよりは、駅前のちょっとした繁華街のように見える。だけど、このような街を歩いた記憶はなかった。

画角は固定されていて全く動かない。何の変哲もない街の一風景が、だらだらと流れ続けている。

街頭防犯カメラの映像なのだろうか。

画像は少し粗いが、それでも有希が思い浮かべる防犯カメラの映像よりは高解像度のものだった。歩道を歩く人の顔もしっかりと識別することができる。

そのような映像がしばらく続いた。

有希は辛抱強く画面を見つめる。

5分ほど経った時に、その歩道の画面下側から、一人の女性が現れた。何かを探しているかのように顔をきょろきょろと左右に振りながらゆっくりと歩道を歩いている。

有希はある予感を感じる。

その女性の服装は紺の襟なしシャツに、白のロングスカートで、肩からは黒いバッグを下げている。髪は肩につかないくらいの長さのダークブラウンのボブカット。

その服は、有希が好んで着る外出着によく似ている。そしてその黒いバッグは、先ほどスマホを取り出して、今は部屋の隅に置いているバッグとそっくりだった。もちろん、髪の長さも今の有希と全く同じ。

その女性は歩道を少し行ったところで立ち止まる。そしてゆっくりとカメラの方を振り向く。

それは、少し不安そうな顔をした有希自身の姿だった。

画面の中の有希は、誰かを待つかのように歩道を車道とは反対側に寄り、ぽつんと立ち尽くす。そして、時々時間を気にするように左手の腕時計を見ていた。

有希は、画面に映るもう一人の自分の姿を息を詰めるようにして見つめる。これから何が起こるのか。想像するのも怖かった。だから何も考えないようにして、その画面の自分の姿に集中した。

画面の有希の前を、数人の人たちが通り過ぎていく。ただ、その人たちは有希のことが全く視野に入っていないかのように、歩道の傍らに立つ有希を気にすることもなく通り過ぎていく。

歩道を歩く人との姿が途切れる。

画面には、少し俯き加減の有希の姿だけが映っている。

その時、歩道の画面奥側から、一人の男が手前側に向かって歩いてくるのが見えた。

眼鏡をかけ、顎には顎髭をはやしている。少し長めの髪が額を覆っていて、その髪が邪魔して顔はよく見えない。白っぽい長袖のシャツを着て、黒いズボンを穿いている。暑くて脱いでいるのか、黒いジャケットを体の前で両手で抱えるようにして持っていた。男性にしては背は低く、画面に映る有希と同じくらいの高さに見えた。

男は有希の少し手前で立ち止まった。

男の口が動く。有希に向かって何かを話しかけたようだ。だけど映像は無音で、その男が何を言ったのかまでは分からない。

だけど、その直後に有希の表情ががらりと変わった。それまでの恐怖で引き攣った顔から、目を見開いて何かに驚愕したかのような顔に変わったのだ。

有希はその画面の中の自分の姿を見つめる。

この一瞬で自分に何かが起こったのは確かだった。だけど、自分のことのはずなのに、画面を見つめる有希にはそれが何なのか、何一つ分からなかった。

男と有希は、それからしばらく何かを言い合っていた。それにつれて男が少しずつ興奮していくのが分かる。男は何かを叫ぶように口を動かした後、その右手を、体の前で両手で抱えるようにして持っていた上着から引き抜いた。

右手には、細長いナイフのようなものが握られていた。

それは、夕方の日差しを受けて鈍く光っていた。

 

 

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エクリプスリアルム(20)

 

 

有希の視線は、“Date: June 21, 2024”の文字に釘付けになっていた。

今日は、6月18日だ。

つまり、この動画には、今日から三日後の映像が映っているということになる。

以前の有希だったら、「何かのフェイク動画か何かだろう」と片付けていた。だけど今の有希には、もうそのように自分に言い繕うことはできなかった。ここには、今日から三日後の未来の映像が映っている。先ほどの“緑翠の間”の映像を見た有希の中には、そのような一つの確信があった。

次に有希の心の中に沸き起こった疑問は、

“自分は、この動画を見てもいいのか?”

ということだった。

何が映っているのかは分からない。もしかしたら見てはいけない何かが映っているのではないのか。そのような不安を自分の中でどうしても打ち消すことができない。だけどそれと同時に、

“この動画を見なければならない。見ないと、その未来の映像が何かが分からない。見なかったことで後悔してしまうことも、もしかしたらあるかもしれない”

そのような焦燥が、同じように自分の中でむくむくと頭をもたげてくるのを無視することもできなかった。

「どうしよう……」

一人だけの部屋に、有希の呟きが虚ろに零れ落ちる。

結論を出すことができなかった。

その時、有希のスマホが突然鳴り出した。場違いに明るい音楽が部屋に響く。この音は、有希宛てに電話がかかってきたことを示していた。

エクリプスリアルムのサイトを開いた状態のまま、機械的に、部屋の隅に置きっぱなしにしていたバッグに歩み寄る。バッグの中からスマホをつかみ出して画面を見ると、藤田から電話がかかってきていた。有希は通話ボタンを押す。

「はい」

「こんばんは、藤田です。今、大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です」

「先ほど、“緑翠の間”の動画をメールで送ったんですけど、届きましたか」

「え?」

「いや、新幹線の中の山下さんの顔が何かに追い詰められたような表情だったので……。その表情で、家に戻ったらすぐに送ってくれと頼んでいたので、何か大切なものかと思って。それで、無事に届いたかどうかを確認したくて……」

「ああ、ありがとうございます。届きましたよ」

「よかった」

その言葉を残して藤田は黙る。本当はその動画をすぐに送って欲しいと頼んだ理由を尋ねたかったのだろう。だって、その動画は今日の撮影の中の一つのミステイクに過ぎなかったのだから。それでも藤田の中で本当に尋ねてもいいのかどうかという葛藤もあるようで、そのことを口にすることはなかった。

有希も黙り込む。

だけど、頭の中では全く別のことを考えていた。藤田に一つ、質問してみようと思った。

「……あの、藤田さん」

「はい」

「一つ、質問してもいいですか?」

「何ですか」

「もし、もしもですよ。藤田さんが未来のことを知るかどうかを選べるとしたら、藤田さんなら、その未来を知りたいと思いますか?」

「未来……ですか……?」

藤田は、いきなり全く場違いな質問がきたことに少し戸惑ったように言葉を口にする。だけど、すぐに次のようにはっきりと答えた。

「僕だったら、知りたいですね」

「……なぜ、ですか?」

「僕自身、決定論者ではないので、未来は決まっていないと信じています。その知ることになる未来も、きっと多くある可能性の中の一つの未来に過ぎなくて……」

「……」

「もしもその未来が自分の望む未来とは違っていた場合、未来を知ること自体が、その未来を変える手助けになるかもしれない……。だから僕なら知りたいと思います」

「……」

「未来は変えられる。これが僕のモットーの一つなんですよ」

「そう……ですか……」

有希はどこか生返事のように言葉を返す。

頭の中では、先ほど藤田が口にした言葉の意味を考えていた。

“未来は変えられる”

本当だろうか。

「……山下さん?」

「ああ、はい、ごめんなさい」

その後、藤田とは別の仕事について短いやり取りをした後に電話を切った。

有希はスマホを握ったまま、仕事用デスクを振り返る。デスクの上のディスプレイでは、相変わらず黒い背景に“Eclipse Realm”という白い文字がゆらゆらと浮かんでいる。

美咲のメールにあった“運命は誰にも変えられない”という言葉。そして先ほど藤田が口にした“未来は変えられる”という言葉。

どちらが正しいのだろうか。

有希は仕事用デスクの前にゆっくりと歩み寄る。スマホをデスクの上に置き、そのまま椅子に腰をかける。そしてマウスを握って、“Related Content”の欄に追加されていた“Date: June 21, 2024”という表記のリンクをクリックした。

サイトの画面が切り替わる。

中央のコンテンツの上には、タイトルとして“Date: June 21, 2024”という文字が表示されている。その下の“Related Content”の欄は今度は空欄だった。

美咲の言葉と藤田の言葉、どちらが正しいのかを確かめるには、この動画を見るしかない。

有希は一つ深く息を吐いた後、再生ボタンをクリックした。

 

 

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エクリプスリアルム(19)

 

有希は藤田のメールを閉じると、メールソフトに表示されている受信メール一覧を下にスクロールしていく。

美咲からのメールは、“5月31日”の日付で依然としてその受信フォルダに残っていた。

メールを消していないので残っていて当たり前だったのだけど、有希は、その“佐藤美咲”と表示された一行を、何か不吉なものを見るような目で見つめた。美咲が事故の直前に送ってきたメール。全ての発端は、このメールだった。

佐藤美咲”の表示にカーソルを合わせ、マウスをクリックする。美咲から送られてきたメールが画面に表示される。エクリプスリアルムのリンクは確か、メールの最後尾に添付されていたはずだ。メールの文面を下にスクロールしようとした時だった。何かの暗示であるかのように、美咲のメールの中の、ある一文が有希の目に飛び込んできた。

 

この運命は誰にも変えられない。

 

スクロールする指が止まる。

そうだ、この一文だ。

美咲のこのメールを初めて読んだ時に、この一文にひっかかりを感じたのだ。その時はこの一文の意味が全く分からなかった。想像することすらできなかった。だけど、“緑翠の間”の一件を経験した有希の心の中に、むくむくと一つの感情が薄気味悪く広がっていくのを止めることができなかった。

もしかして……。

いや、考えすぎだ。

すぐに自分の考えを打ち消す。

それを確認するためにも、自分はもう一度、エクリプスリアルムの動画を見なければならない。マウスのカースルをスクロールする指を再び動かして、そしてメール末尾に添付されているリンクをクリックした。

二週間前に目にした、エクリプスリアルムの画面が目の前で立ち上がる。

黒い背景に“Eclips Realm”の白文字。どこかしら不安を感じさせる不気味な画面。その薄気味悪さは全く変わらなかった。

中央に表示されているコンテンツの上に、そのタイトルとして“Date: June 18. 2024”と記載されている。その下の“Related Content”の欄も空白のまま。それも二週間前に目にした画面と全く同じだった。

やはり、動画のタイトルは、今日の日付になっている。

問題はここからだ。その動画の映像が、今日、藤田が撮影した映像と本当に同じなのか。それを確認しなければならない。

二つの映像を比較できるように、ディスプレイを二分割表示にして右側にエクリプスリアルム、左側に先ほど藤田に送ってもらった動画ファイルを表示させる。そして、二つの動画を同時に再生させた。

ディスプレイに二つの映像が流れる。

その映像を見終わった有希は、一言も言葉を発することができなかった。

椅子の背もたれに体を預けて固まったように座っていた。再生が終わって、ディスプレイの画面はすでにブラックアウトしている。それでも有希は、その暗黒を見つめ続けていた。

同じだった……。

全く同じだった……。

背景、被写体の動き、画角、時間、全てが寸分違わず同じだった……。

それが何を意味しているのか。

一つしかなかった。

未来に撮影された映像が、このエクリプスリアルムには上げられていたのだ。

「そんなことは……ありえない……」

有希は力なく呟く。

だけど頭のどこかでは、寸分違わない二つの映像を前にして、どんな言葉でもってしてもそれが否定できないことは分かっていた。

この藤田の撮影した映像は、本当は6月17日に撮影する予定だった。だけど新幹線のシステム不具合で6月17日に藤乃屋に行くことができなくて、18日に変更になった。そして“緑翠の間”も、もともとは撮影する予定にはなかった。だけど佐々木の思いつきで、急遽撮影することになった。

二つの偶然が重なった結果の映像だった。

その映像が、二週間も前に、このエクリプスリアルムに上がっていたのだ。

有希は依然として、ブラックアウトしたディスプレイを見つめていた。だけど頭の中では、先ほど美咲のメールで目にした、“この運命は誰にも変えられない”という言葉がぐるぐると回り続けていた。

どれくらいその状態でいただろうか。

時間の感覚は完全に失われていた。虚ろな視線をデスクの上の時計に向けると、時計の針は午後9時を指している。家に帰ってきたのが午後8時だったから、そこから一時間もこの椅子に座り続けていたことになる。

有希は、固まったまま悲鳴を上げていた体を引きずるようにして椅子から立ち上がる。その際に指がマウスに触れて、スリープ状態に入っていたディスプレイに映像が戻る。とりあえずパソコンの電源を落とそうとマウスを握り、エクリプスリアルムが表示されているブラウザを閉じようとした時だった。

目にした画面に何か違和感を感じた。

さっきまで見ていた画面と何かが違う……。

だけど、それが何なのかはすぐには分からなかった。それを確かめようとエクリプスリアルムの画面をあらためて見る。

「あ……」

有希はその違和感の正体に気づいた。

動画の下に設けられている“Related Content”の欄に、一つのコンテンツが追加されていたのだ。さっき見た時は確かに無かった。自分がこの動画を見て、そして呆然としている間に、誰かがこのコンテンツを追加したことになる。

有希は立ったまま、その追加されたコンテンツを見つめる。

そのタイトルには次のように表示されていた。

 

Date: June 21, 2024

 

それは、三日後の日付だった。

 

 

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エクリプスリアルム(18)

 

その出来事の後、有希は仕事に集中することが全くできなくなっていた。

緑翠の間の撮影の後も旅館の中の撮影をいくつか予定していたのだけど、その途中で段取りを間違えたり、佐々木への指示を間違えたりしてしまう。その度に佐々木や鈴木からは、この人は大丈夫なのだろうか、という不安な目で見られていることは分かってはいた。だけど、有希にはどうしようもなかった。頭の中では、エクリプスリアルムで見た動画のことが消えてくれなかった。

なぜ、あの動画で映っていた光景が、今、目の前で再現されたのか……。

そのようなことがありうるのか……。

何かの間違いではないのか…。

ただの偶然ではないのか……。

だけど、そのような偶然が本当にありえるのか……。

心の中から湧き出す様々な疑問を、どうしても押さえ込むことができなかった。

そのような中で、藤田が有希のことを色々とフォローして、予定していた藤乃屋の撮影を進めてくれていた。もし藤田がいなかったら、その日の撮影は悲惨な状態なまま終わっていたかもしれない。有希がこのような状態であっても、冷静に対応して撮影を進めてくれた藤田には本当に助けられた。

予定していた撮影を何とか終えると鈴木たちとは藤乃屋の前で別れ、有希と藤田はタクシーでS駅に向かう。そしてそのまま東京行きの新幹線に飛び乗る。

新幹線の中は、同じように地方に出張に行って東京に帰る途中なのだろう、スーツ姿の乗客が目立つ。空いていた二人掛けの座席に有希と藤田は並んで座った。

その帰りの新幹線の中でも、有希はずっと黙っていた。すでに午後6時を回っており暗闇に徐々に包まれていく車窓の外の風景を、じっと見つめていた。藤田は藤田で、有希の隣の席で黙って文庫本を読んでいる。

撮影の途中から有希の様子がおかしかったこと、そして今、一緒に新幹線に乗っている有希も、いつもの有希の姿ではないこと、そのことに藤田は気づいていたのだろう。だけど藤田の方も何かを察したのか、有希にそのことを問いただすこともなく普通に接してくれている。藤田のことに気を回す余裕を失っていた有希には、その藤田の態度がありがたかった。

有希は、窓の外を流れる景色を見るともなく見ながら、だけど頭の中では、あの動画のことをずっと考え続けていた。

あの動画のタイトルは“Date: June 18. 2024”となっていた。

そして今日が、その6月18日なのだ。

動画の右下には時刻表示もついていて、動画が終わった時の時刻は、午後1時58分だった気がする。そして、あの動画のシーンが緑翠の間で再現された時の時刻も午後1時58分だった。日にちも、時刻も完全に一致している。

そしてその動画は、今から2週間前に、エクリプスリアルムというサイトに誰かが上げたものなのだ。

つまり、今日撮影された映像が、2週間前に上げられたことになる。

そんなことが、本当にありえるのだろうか。

有希の心の中では、“そんなこと、ありえるはずがない”という、この世界の常識をまだ信じる自分がいた。

きっと、何かの間違いだ。

2週間前に見ただけで、そのあとはずっと忘れていたのだ。自分の記憶違いで、似てもいないものを勝手に同じと思い込んでいるだけかもしれない。それを確かめるためにも、まずはエクリプスリアルムの映像と、今日撮影した映像が本当に同じものなのか、それを確認しなければならない。

有希は車窓から、右隣に座って文庫本を読んでいる藤田に視線を移す。

「あの、藤田さん」

「え、あ、はい。何ですか?」

いきなり声をかけられたことに驚きながら、藤田が有希の方に顔を向ける。

「今日、藤乃屋の緑翠の間を撮影したときに、佐々木社長が転んでしまった場面がありましたよね?」

「ああ。足がもつれて、転んでしまったやつですよね」

「はい。そのときに撮影したデータは、消さずにまだ残っていますか?」

「残っていますよ。ミステイクの映像でも後で何に使うか分からないので、依頼の仕事が終わるまではいつも残すようにしています」

藤田のそのプロフェッショナルとしての意識に感謝しつつ、「その動画についてなのですが」と言葉をつなぐ。

「家に戻ってからでいいので、その動画ファイルを私に送ってもらえませんか?」

「構わないですけど、何かに使うんですか?」

「うん。ちょっと確認したいことがあって……」

有希は言葉を濁す。

自分でもまだ信じられないのだ。エクリプスリアルムに上がっていた動画について、藤田に話すのはさすがに憚られた。言ったとしても信じてくれるわけがない。そのようなことを話した自分が不審な目で見られるだけだ。

藤田はそれ以上尋ねることもなく、「分かりました。帰ったらすぐに送ります」と言った。

藤田とは東京駅で別れ、有希は寄り道をすることもなく自分の家に向かう。そして自分の家に帰り着くと、荷物をリビングの隅に置いて、外出着のまま仕事用デスクに向かった。

パソコンを立ち上げメールソフトを開くと、藤田からすでに一通のメールが届いていた。件名は“今日の動画について”となっている。受信時間を見ると、ほんの10分前になっていた。本当に家に戻ってからすぐに送ってくれたらしい。

メールの文面は藤田らしく、

“今日はお疲れ様でした。先ほど新幹線でお願いされた、緑翠の間の動画ファイルは、仕事用サーバーに保存しました”

と簡潔に要件が書かれていた。

その文面の一番下に、サーバーアクセス用リンクが添付されている。有希がそのリンクをクリックすると、フォルダが立ち上がった。そのフォルダには、“緑翠の間”と名前の付けられた動画ファイルが一つ入っていた。

 

 

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