5
閉じ込められた部屋の中。
壁に乱暴に掻き殴られた“全て、お前がやったんだ”という血のように赤い文字を前にして、真尋は呆然と立ち尽くしていた。
真尋は全てを思い出していた。
そうだ・・・。
全て、私がやったんだ・・・。
あの夜・・・。
私は、自分の父親を殺したんだ・・・。
真尋は後退りするように右足を一歩後ろに引く。
その時、右足に何かがぶつかった。真尋が視線を下に落とすと、先ほど床に落としてしまった絵が足元にあった。
その絵を手に取る。そして改めてその絵を見る。
絵に描かれているベッドに横たわる一人の男。そのベッドの脇に立つ、感情を失った一人の少女。
真尋はその少女の姿をなぞるように、右手の人差し指で絵に触れた。
この少女は、6歳の頃の私だ・・・。
6歳の頃の自分は、誰よりもこの世界に絶望して、だけど誰よりもこの世界で生きようとしていた。誰よりも無力で、だからこそ普通の人間では乗り越えることのない壁を誰よりも簡単に乗り越えていた。あの夜に。
それが自分だった。
母は、ただそんな自分を守ろうとしてくれただけだった。
あの夜、母は明け方近くに家に帰ってきた。家を出る時に引いていた大きなスーツケースは、その手には握られてはいなかった。
帰ってきた母は小さな声で、
「ただいま」
と言っただけで、それ以外は一言も喋らなかった。
そのスーツケースをどうしたのかを自分の娘に言うこともなかったし、真尋もそんな母に何一つ言葉をかけなかった。かける言葉なんてもはや持ち合わせていなかった。
次の日の土曜日は、母も真尋も息を潜めるように過ごした。母は、
「お昼ご飯を食べましょう」
であったり、
「おやすみ」
であったり、必要最低限の言葉だけを口にし、それ以外はじっと口をつぐんでいた。いなくなった父のことは決して口にしなかった。まるで、この家にはもともと父という人間は存在しなかったかのように、母と真尋は過ごしていた。
そして翌日の日曜日、母は警察に行き、父の捜索願を提出した。