N大学附属病院から、美和に突然の連絡があったのは4月7日の夜9時過ぎだった。
美和は一人の夕食を済ませ、食器を洗って後片付けをしていた。
そのとき居間の机の上に置いていた携帯電話が突然震え出した。机に振動が伝わり、ガーガーと大きな音を立てる。美和は食器洗いを中断して、手を拭いてから居間に向かう。携帯電話を手に取ると、電話がかかってきていた。
美和の携帯に電話がかかってくることは珍しかったし、携帯電話のディスプレイに見知らぬ番号が表示されている。
“こんな時間に誰だろう”
と訝しく思いながら電話に出る。
「こちら、N大学附属病院です。佐藤美和さんの電話で合っていますでしょうか」
受話器から、若い男性の声が聞こえた。
「・・・はい」
「佐藤真尋さんが、当院に緊急搬送されてきております」
その言葉が突然すぎて、美和は、電話の向こうの相手が何を言っているのか、一瞬理解できなかった。誰かのいたずら電話だろうか。あるいは、何かの詐欺だろうか。そんな考えすら美和の頭には浮かんだ。
「真尋が・・・、ですか・・・」
「はい。危険な状態ですので、申し訳ありませんがすぐに当院にお越しください」
「・・・何が、あったんですか」
「詳しくはこちらにお越しの際に説明します。それで、当院の場所ですが」
電話先の男性は、病院の最寄駅とその駅からの道順を簡単に説明し始める。美和は、
「すみません、メモを取るので少しお待ちいただけますか」
とその男性に告げ、いつも通勤に使っているバッグからメモ帳とボールペンを取り出す。
「もう一度お願いします」
美和は、その男性が告げる最寄駅名をメモ帳に書きつけた。
千代田線N駅。美和が住んでいる埼玉県S市からは電車を乗り継げば1時間ほどで着ける距離にあった。
「それではお待ちしています」
その言葉を残して、その電話先の男性は電話を切った。
美和は携帯電話を持ったまま、しばらく呆然としていた。先ほどの男性の話を頭の中で繰り返す。
“真尋がN大学附属病院に緊急搬送された”
“現在、危険な状態になっている”
この言葉が意味するものは何なのか。
それは、自分の娘である佐藤真尋が、何かしらの理由でN大学附属病院に運び込まれたこと以外のなにものでもなかった。
美和は、徐々に事態の深刻さに気づき始めた。
通勤用バッグを手に取り、中に財布が入っていることを確認する。隅のクローゼットから、先ほど勤務先から帰った時に仕舞ったばかりの春物のコートを引っ張り出し、羽織った。そのまま玄関に向かう。だけど途中でまた居間に引き返し、引き出しの中から保険証を取ってバッグの中に入れた。もしかしたら必要になるかもしれない。
そして追い立てられるかのように、自分の家を後にした。
台所では、洗い途中の食器がそのまま残されていた。