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その日、美和は自分でもどのようにして家に帰ったのか分からなかった。
気づいたら自分の家のリビングで一人、呆然としながら床に座り込んでいた。手元のバッグの中には、真尋の部屋から持ち帰った手紙が入っていた。
もう病院に行くのが怖かった。
病院で、真尋の顔を見るのが怖かった。
この手紙を見る前の美和は、真尋が目覚めた時、真尋にどのような言葉をかければいいのかが分からなかった。あの夜のことに触れずに、どのように真尋を勇気づければいいのだろう。そのことだけを考えていた。
だけど、この手紙を見た後の美和は、全く別の恐怖に囚われていた。
病院で目を覚ました真尋の口からどのような言葉がこぼれ落ちるのか。それが怖くて怖くてたまらなかった。もし真尋の口から、この手紙に書いてあるような絶望がこぼれ落ちた時、そのような真尋を支え切るだけの自信が美和にはなかった。きっと自分も一緒に、その絶望の中に引きずり込まれてしまう。そんな確信にも似た思いが美和の中にはあった。
どれくらい座っていたのだろうか。床の上に座り込んでいた美和は、のそのそと立ち上がる。そして初めて窓の外がすっかり暗くなっていることに気づいた。時計を見ると針は午後九時を指している。真尋の部屋からこの家に帰ってきたのが午後五時過ぎだったので、四時間も座り続けていたことになる。美和の中で時間感覚が無くなっていた。
その日は夕食を食べることもせずに、そのまま布団の中に潜り込んだ。食欲は全く湧かなかった。
次の日の午後も結局病院に行くことはなかった。
部屋の片付け、そしてそれ以外の雑務をして過ごした。何か用事を無理やり作って、それを言い訳にして病院に行かないことを正当化しようとしている自分がいた。
その前日も病院ではなく真尋の部屋に行っていたので、二日間病院には行っていないことになる。その間、病院からは何の連絡もなかった。
「そうだ、引き出しの片付けをしなければならなかったんだ」
美和は自分自身に言い聞かせるように呟きながら立ち上がった。
引き出しの中には色々なものが雑多に入れられている。通帳、ハンコ、そして真尋の部屋の合鍵。その引き出しを開けるたびに、
”いつか、整理をしなければ”
と思い続けていた。だけどそれも延び延びになっていて、引き出しの中は散らかった状態のまま長い間放置されていた。
美和は物入れの一番上の引き出しを引き抜き、リビングの机の上に置く。そして引き出しの中の物を一つずつつまみ出して、机の上に出していった。
「あ・・・」
美和の手が止まった。
引き出しの底に、一枚の写真が隠すようにして入れられているのが目に入った。
まだ若い美和の隣で、幼い真尋が寂しそうに笑っている。
当時住んでいた東京都K区のアパートの前で撮られた写真だった。その写真を撮ったのは美和の夫であった佐藤健太郎で、その日、フィルムが一枚余っていることに気づいた健太郎が気まぐれで、
「写真を撮ろう」
と言って撮ったものだった。