創作ノート

短編小説を書いています。

閉じ込められた部屋(81)

 

とうとう完全に足が付かなくなった。

必死になって顔を水の上に出し、呼吸をしようとする真尋の口に、水が流れ込む。

真尋はげほげほと咳き込んだ。それでも立ち泳ぎのような形で何とか顔を水面の上に出して、息をする。そして

「苦しいよ・・・。ここから出してよ・・・」

と声を上げた。声はすぐに水の音にかき消されていく。

「お母さん・・・、怖いよ・・・。怖くてたまらないよ・・・」

真尋の眼に再び涙が溢れ出す。

涙が止まらなかった。6歳の少女のように、真尋は泣きじゃくっていた。

「お母さん・・・、助けて・・・」

真尋は必死に母に救いを求めた。もうそこにしか縋れるものはなかった。

そんな真尋の心に、また母の声が響いた。

“戦うの”

その声はあまりに力強くて、あまりに威厳に満ちていて、そしてあまりに優しかった。その声に、真尋の心は大きく震える。目が覚めるような思いで、その声を聞いた。

“あの夜のあなたのように・・・、あなたの存在を、理不尽に踏みにじってくるものに対して戦うの・・・。あなたの存在を、理不尽に押し潰そうとしてくるものに対して戦うのよ”

 

私の存在を、理不尽に踏みにじってくるもの・・・。

私の存在を、理不尽に押し潰そうとしてくるもの・・・。

 

それは、私の心をばらばらに壊していった、父だった・・・。

それは、私の存在を受け入れてくれなかった、この世界だった・・・。

そしてそれは、生きることを諦めようとする、今の私自身だった・・・。

 

6歳のあの夜の光景が目の前に蘇る。

あの夜の真尋は、自分を守ろうとしただけだった。ただ、生きようとしただけだった。確かにそのためにとった手段は間違っていたのかもしれない。だけど、6歳の真尋は勇気を出して一歩前に踏み出そうとした。たとえその先が絶望につながる道だとしても、勇気を出して実際にその一歩を踏み出したのだ。そしてその勇気によって、6歳の真尋は、少なくともその時の自分の存在を救うことができた。

20歳になった今の真尋が、その6歳の自分の行動に絶望し、生きることを放棄しそうになったとしても、6歳の真尋はその行動によって何とか“生きる”という道を見出した。そして現に、その道は20歳の真尋に続いていた。6歳の真尋がその時点でその道を進むことを放棄してしまっていたら、今の20歳の真尋は存在しなかった。この14年間も存在しなかった。

真尋は、その事実に初めて気付いた気がした。

“6歳のあなたができたのだから、今のあなたができない訳がない”

母の声が、真尋の心の中の一番深い部分に響く。

“戦いなさい”

真尋はもう、泣いてはいなかった。

 

 

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