自分の中で生まれた一つの決意を、真尋はそっと胸に抱いた。
水位は上がり続けていて、もう完全に真尋の足は床に付かなくなっている。何とか、立ち泳ぎをしながら顔を水面の上に出していた。だけど、その状態でどれだけ持ちこたえることができるのか分からなかった。そもそもとして、天井まで完全に水が満たしてしまえば、もうそこに逃げ場は全く無くなってしまう。そうなれば、完全に終わりだった。
水はもう真尋の背の高さを超えている。
それまでかかった時間は40分くらいだろうか。
そうなると、天井の高さにその水位が到達するまで、あと残された時間はもう30分もなかった。
真尋は立ち泳ぎを続けながら、何とか自分の気持ちを落ち着かせる。
どうすればこの部屋から出られるのか。出られる可能性がこの部屋のどこに存在するのか。何か見落としていることはないのか。
必死に、もう水が半分以上満たされている部屋の中に視線を巡らせた。
ドアが一つだけ設けられた小さな部屋。窓は一つもない。絵が取り外された壁は無機質な灰色を真尋に見せるだけだった。何かが隠されているような隙間は、その壁のどこにも見当たらなかった。
真尋の背中には、何度開けようとしても開けることができなかったドアがあった。
だけど、この部屋と外部を繋ぐものは、もうそのドアしかなかった。
真尋は意を決したように一度大きく息を吸い込み、水の中に潜る。そして水中でぼやけた視界の中でドアノブを探した。ドアノブを掴むと、それを思い切り回そうとした。だけど、さきほどやった時と同じように、そのドアノブは全く回る気配を見せなかった。すぐに息が続かなくなる。真尋はドアノブから手を離して、水面から顔を出す。荒い息を必死になって整えて、また水中に潜った。
同じようにそのドアノブを掴み、力一杯回そうとする。
お願い!
回って!
だけどそのドアノブは、無情にも全く動いてくれなかった。
真尋は何度も水中に潜り、そして息が続かなくなり何度も水面に戻ることになっても、それをやめなかった。もう真尋は諦めなかった。
水面に顔を出すたびに、水面と天井の高さは徐々に近くなっていく。近づいてくるその天井の高さに、刻一刻と迫ってくるタイムリミットを感じる。それでも真尋は、水中に何度でも潜り続けた。
何回潜っただろうか。
そして何回、ドアノブを回そうとしただろうか。
自分でも分からなくなる。
体が疲労で鉛のように重い。
天井と水面の間の隙間は、もうほとんど残されていない。
真尋は最後の力を振り絞るようにして、水中に潜る。そしてドアノブを再び握った。
それは突然だった。
何の前触れもなく、真尋の手の中で突然そのドアノブは回った。
何が起こったのか分からなかった。自分の手の中で回っていくドアノブを真尋は確かに感じたのだけど、それは本当に一瞬の出来事だった。
ドアノブが真尋の手の中で回り切った次の瞬間には、部屋の水の重さに押し出されるようにしてドアは外側に勢いよく開いていた。そしてドアが開かれると同時に、部屋の中に溜まっていた大量の水が隣の部屋に流れ出ていく。真尋はなすすべもなく、水と一緒にそのドアの外に吸い込まれていった。
その水の中で流されながら真尋は、自分の体が光に包まれていくような感覚を覚えた。光の中で、深い水の底に沈んでいくかのように、意識が薄れていく。だけど真尋は怖くはなかった。逆に、どこか懐かしいような暖かさを感じた。
その光の先に、一人の少女が立っていた。
あなたは・・・。
それは6歳の真尋だった。
少女は、寂しそうな目でこちらを見ている。
真尋は、その幼い自分に心の中で語りかけた。
ありがとう・・・。
あの時、どんなに苦しくても、それでも生きるという道を選択してくれて・・・。
あなたがその道を選択してくれたから、今の私がいる・・。
あなたがいてくれたから、今の私がいるんだよ・・・。
少女は小さく首を横に振る。そして悲しそうに微笑んだ。
私は、諦めなかったよ・・・。
その言葉を最後に、真尋の意識は光の中の闇に落ちていった。