創作ノート

短編小説を書いています。

閉じ込められた部屋(21)

 

そうだ。

あの夜、母はスーツケースを持ってどこかに出かけて行った。

そしてその早朝に母は帰ってきた。

母が家を出る時に、真尋にこぼした言葉、

「真尋。何も無かったの。何も無かったのよ。だからあなたも忘れなさい」

その言葉がまざまざと真尋の中で蘇る。

この言葉はどのような意味だったのだろうか。真尋の頭に蘇ったのは、その言葉を真尋に向かって言い放つ母の姿だけだった。その言葉がどうして母の口からこぼれ出たのか。その言葉の裏に、どのような現実が隠れているのか。真尋にはどうしても思い出せなかった。

ただ、

「何も無かった」

とわざわざ言ったのだとしたら、それは、何かがあったということなのではないのか。本当に何も無かったら、わざわざ「何も無かったの」と自分の娘に言うはずがない。

そして、家に帰った母はスーツケースをその手には持っていなかった。そのスーツケースをどこかに運ぶ必要があったということなのだろうか。

 

そもそも、あのスーツケースの中には、何が入っていたのだろう・・・。

 

そのとき真尋の中で、母に関する別の記憶が顔をのぞかせ始める。

それは、真尋が小学生の頃、母に自分の父親について尋ねた時に、母が真尋に投げつけるように呟いた、

「真尋にはママがいるから、パパは必要ないでしょ・・・」

という言葉だった。その時に真尋に見せた能面のような冷たい表情だった。

そして、高校生の時に戸籍謄本の中に見た、私の父の欄に記載された「除籍」の文字。それに引き続いて記載された「失踪宣告」と「差出人 佐藤美和」の文字だった。

真尋の中で、それらの記憶が重ね合わされていく。

 

もしかして・・・・、あのスーツケースの中には・・・。

母が・・・、父を・・・。

 

 

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