創作ノート

短編小説を書いています。

閉じ込められた部屋(15)

 

「佐藤さん、佐藤真尋さん」

窓口から声をかけられて、真尋は自分の中で流れ続けていた思考の流れを無理やり停止させてその窓口に向かった。

「戸籍謄本はこちらになります」

女性職員は数枚の書類を真尋の前に差し出した。

「費用は450円になります」

真尋は鞄の中から財布を出して、窓口の前に450円の小銭を並べる。それと引き換えにするように目の前の書類を受け取った。そして受け取るとその内容には目を通さずにすぐに小さく折りたたんで鞄の中に入れた。自分の戸籍謄本は、人目のつかない、どこか一人のところで見たかった。そのような真尋の様子を、その女性職員はどこか訝しげな表情を浮かべながら見ていた。

真尋が自分の腕時計を確認すると、その針は午後四時を差している。

この時間に家に帰ればまだ母は仕事から帰宅していないので、その戸籍謄本を一人で見ることはできるはず。ただ、真尋は自分の家でそれを見ることは考えていなかった。真尋が小学生の時、母が、

「真尋にはママがいるから、パパは必要ないでしょ・・・」

と真尋にささやいた時の母の冷たい表情が脳裏から消えていなかった。母と暮らすあの家という空間の中に、“父”に関する何ものも持ち込んではいけない気がした。

ふと、K区役所に来る際に、O駅を降りたすぐ前が公園だったことを思い出した。

そうだ、あの公園のベンチに座ってこの書類を見よう・・・。

そう決めて、真尋は区役所の建物を後にした。

 

O駅の前に広がるA公園。

その公園は、中央に長く遊歩道が設けられていて、その遊歩道を桜の木々が囲っているような自然豊かな公園だった。そのときは五月ということで桜は全て散っていて、それらの木々は葉桜として緑で溢れている。遊歩道に並ぶ形でちょっとした広場が設けられていて、そこに設置されている遊具では小学生らしき子供たちが歓声を上げながら力一杯遊んでいた。

真尋は遊歩道を少し歩いていき、公園の隅にベンチを見つけた。

あのベンチの周りは人気はなさそうだ・・・。

戸籍謄本を一人で読むにはちょうどいいだろうと思い、そのベンチに向かった。

ベンチに座り、しばらく、少し離れた場所で遊んでいる子供たちをぼんやり眺めていた。ここで戸籍謄本を見てしまうと、今まで知らなかったことを知ってしまうのではないのかと思った。それを見る前と見た後では、真尋を取り囲む世界が全く変わってしまうような気がした。そして一度見てしまうと、もう元の世界には戻れないような気がした。

そんな感情が真尋の心と体を縛り付けていて、鞄を開けることを躊躇する自分がいた。

だけど、いつまでもこのベンチに座り続けているわけにもいかなかった。

真尋は勇気を出して膝の上に乗せた鞄を開ける。

そして先ほど区役所でもらって小さく折りたたんだ戸籍謄本を外に取り出した。

 

 

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