「真尋の手に触れても大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫です。ぜひ、手を握ってあげてください」
看護師は事務的な口調で答える。
美和はベッドの上に投げ出された真尋の右手に触れる。そしてそのままその手を強く握った。真尋の右手は氷のように冷たかった。
「なんで・・・、なんでこんなことに・・・」
美和の言葉は、誰にも受け止められることもなく空気の中に霧散していく。
美和は看護師を振り返った。
「真尋はどのような具合なのでしょうか」
「そのことについてなのですが、先生が真尋さんのお母様にお話ししたいことがあるとのことです。診察室まで来てもらってもいいですか?」
「・・・わかりました」
美和は真尋の右手から手を離した。
看護師は、美和を同じ3階にある一室の前に案内した。
ドアは閉じられていて、そのドアの横に「A03診察室」という掲示が掲げられていた。
看護師はドアをノックし、ドアの内側に、
「森田先生、真尋さんのお母様をお連れしました」
と声をかけた。ドアの内側から、
「中に入ってもらってください」
という男性の声が聞こえた。
美和は、看護師の「どうぞお入りください」という言葉に促されるように、一言、
「失礼します」
という言葉を残して目の前のドアを開けた。
その診察室は8畳くらいの大きさの小部屋となっていて、右手側にベッドが、そして左手側にパソコンのディスプレイが載せられた机があった。ベッドは空だった。そして机の前にはディスプレイを睨むように観ている白衣姿の中年男性が座っていた。
その男性は美和の方に顔を向け、
「こちらにお座りください」
と机の前に一つ置かれた丸椅子を左手で指し示した。
美和はもう一度、
「失礼します」
と小さな声で言ってから、その椅子に座った。
「私は、救命医の森田と申します」
男性は簡単に自己紹介した。その顔はやつれていて、ひどく疲れた表情をしていた。そして、少しの間を挟んで、
「お母様は、オーバードーズという言葉をご存知でしょうか」
と美和に言った。
「オーバードーズ、ですか・・・。いえ、初めて聞く言葉です」
「そうですか・・・。オーバードーズとは薬の過剰摂取のことです」
「薬の、過剰摂取?」
「はい。オーバードーズは、簡単に入手できる咳止めや風邪薬の場合が多いのですが、時々病院で処方された薬を過剰摂取される方もいます。真尋さんの場合、病院で処方されていた睡眠薬を過剰摂取したようです」
その話は、真由美からすでに聞いていた。
美和が知りたかったのはその先だった。
真尋は助かるのかどうかを知りたかった。
「それで・・・、真尋は助かるのでしょうか」
「先ほど処置として、胃の中の洗浄を行っています。幸い、と言っていいのかどうかは分かりませんが、真尋さんはそれほど大量には睡眠薬を飲んでいなかったようです。明日には目覚めると思います」
「・・・ありがとうございます」
「ですが、お母様」
医師は楔を打ち込むかのように、そこで少しの間、言葉を止めた。
「大切なのは、なぜ真尋さんはオーバードーズをしたのか、ということです」
「・・・」
「真尋さんが目覚めた時に、真尋さんは辛い現実に直面することになります。ぜひ、お母様が支えてあげてください」
真尋を・・・、支える・・・。
一度、真尋を見捨ててしまった私に・・・、真尋を支えることなんてできるのだろうか・・・。
美和は、そのような思いが心の中から滲み出て広がっていくのを、どうしても止めることはできなかった。