真尋の記憶の片隅に、ぼんやりとした一つのイメージが漂っていた。
夜。
母。
そしてその母を見送る六歳の自分。
だけどそのイメージは霧の奥に隠れているかのようにはっきりとした形を持っておらず、真尋はその形をとらえることはできなかった。必死になってその記憶を思い出そうとしたのだけど、どうしても思い出すことはできなかった。
頭に鈍い痛みを感じた。
私は、忘れてはならないことを忘れてしまっている・・・。
それが何なのかはわからなかった。
だけど、自分にとって、母にとって、そして真尋の記憶には存在しない父にとって重大な何かであるような気がした。その記憶を真尋は忘れてしまっている。もしそうだとしたら、その記憶は、忘れてはならないものであると同時に、決して思い出してはならないものでもあるのかもしれない。だから六歳の自分はその記憶を消してしまったのではないのだろうか。そう感じた。
真尋は戸籍謄本に落としていた視線を上に上げる。
遊歩道に隣接された広場では、子どもたちがサッカーボールを蹴って遊んでいた。小学校に上がる前くらいの年齢だろうか。仲間たちと笑い合いながら、一緒にボールを追いかけていた。その顔には陰なんて全く浮かんでいなかった。世界は幸せに満ちたものだと信じているかのように、そしてどんな絶望も彼らの前には待ち受けていないと心から信じているかのように、真尋には見えた。
イメージの中の自分が、六歳の頃の自分だったとしたら、ちょうど彼らと同じ年齢くらいだったのかもしれない。
その六歳の自分も、彼らと同じようにこの世界のことを信じていたのだろうか。真尋には分からなかった。
これからどうしよう・・・。
この本籍地の住所に行けば、何か分かることもあるのだろうか。
ただ、素人の自分が行ったところでできることはない気がした。自分一人の力ではこれ以上自分の父のことを調べるのは難しいだろう。
真尋はベンチから立ち上がる。
そして、公園の隅に設置されているゴミ箱に向かってゆっくりと歩き出した。母と一緒に暮らす家に、この戸籍謄本を持ち帰るわけにはいかなかった。自分が父親のことを調べていたことは、絶対に母には知られてはならない。
ゴミ箱の前にたどり着くと、右手に持った戸籍謄本を二つに割いた。そして内容が確認できなくなるくらいまで細かく割いてから、その紙片をゴミ箱の中に押し込んだ。
真尋は、父の名前が書かれた戸籍謄本を捨てると一緒に、父について考えること自体もそのゴミ箱の中に捨てることにした。