創作ノート

短編小説を書いています。

02 閉じ込められた部屋

閉じ込められた部屋(55)

次の日、つまり、今日です。 私は朝から大学の講義がありました。真尋さんも私と一緒にその講義をとっていました。彼女は私とは違って、朝が早かった。いつも私が来る前に席についていて、私が教室に入ると、 「真由美」 と私に向かって小さく手を振ってくれ…

閉じ込められた部屋(54)

美和は、以前、真尋の口から真由美という名の大学の友人がいるという話を聞いたことがあったことを思い出した。 真尋から学校の友人の話が出ることは珍しかったので、その名前を覚えていた。 「同じバトミントンサークルに入っている子で、真由美って子がい…

閉じ込められた部屋(53)

美和がN大学附属病院に着いたのは、夜22時半を回っていた。 12階建ての建物は、夜の街に立ちつくす巨人のように美和の前に立っていた。もう夜も遅くなっており、その窓の半分以上はすでに灯りが消されている。 その建物の入り口に「N大学附属病院」とい…

閉じ込められた部屋(52)

N大学附属病院から、美和に突然の連絡があったのは4月7日の夜9時過ぎだった。 美和は一人の夕食を済ませ、食器を洗って後片付けをしていた。 そのとき居間の机の上に置いていた携帯電話が突然震え出した。机に振動が伝わり、ガーガーと大きな音を立てる。…

閉じ込められた部屋(51)

美和は持ってきたバッグを開き、その中から一つの包みを取り出した。 昨日この病室を訪れた際に、この部屋の殺風景さがひどく気になっていた。 何か気分を変えてくれるようなものをこの部屋に置きたいと思った。ただし、真尋が入院しているN大学附属病院では…

閉じ込められた部屋(50)

6 佐藤美和は、建物の正面玄関から中に入ると、待合室を真っ直ぐに抜けて警備室に向かった。 平日午前中の待合室では、順番待ちをしている高齢者が数人、座席に座っていた。その座席の前では大型のモニターが設置されていて、それぞれの受付での順番待ちの…

閉じ込められた部屋(49)

水は徐々に、そして確実に真尋の体を沈めていく。 そして水が真尋の首のところまできた時に、真尋の中で一つの魔物が顔を覗かせ始めた。それは必死になって真尋自身が押さえつけていたものだった。その正体を見るのが怖くて怖くてたまらなくて、だから必死に…

閉じ込められた部屋(48)

真尋は木片を持った右手を開き、その木片を手放した。 もう真尋の中に、その木片を持ち上げる力は残っていなかった。 それは、その“バルブ”を回すことを諦めた瞬間だった。 木片は水の上に浮き上がり、水流に押し出されるように真尋から離れていく。その様子…

閉じ込められた部屋(47)

手に持ったキャンパスをドアノブに叩きつけているうちに、そのキャンパスの四辺を囲うように取り付けられていた木枠が外れかかってきた。それらは釘で固定されているわけではなく、接着剤のようなもので絵に固定されていた。 真尋はドアノブに絵を叩きつける…

閉じ込められた部屋(46)

何とかして、この水を止める方法は無いのか。 真尋は水の中で足を擦るようにして、一歩、一歩、その“放水口”に近づく。 そして改めて上を見上げて天井のパネルの奥を見つめた。そこに何か水を止める手段が隠されていないか、そこに望みをかける。 開いたパネ…

閉じ込められた部屋(45)

真尋はドアノブを握り、自分の体を引っ張り上げるようにして何とか立ち上がる。 服が水を含んでいて鉛のように重かった。その間も、天井から流れ落ちる水からは目を離すことはできなかった。その“放水口”から流れ落ちる水の勢いは、弱まることを知らなかった…

閉じ込められた部屋(44)

ぽた・・・。 「え?」 真尋は、自分の頬に何かが落ちてきたような感触を感じて、小さな声を挙げた。慌てて右手でその頬を触る。そして右手を目の前に持っていき、よく見ると、何かで濡れているかのように、部屋の電灯の光を反射して鈍く光っていた。水だろ…

閉じ込められた部屋(43)

突然開いた天井のパネルの奥に隠されていた、金属製の筒状の何か。 真尋は、過去に似たようなものを見た記憶があることに気づいた。 確か通っていた小学校の校舎の中だった。 必死になって思い出そうとする。 教室の前の廊下。 その廊下をまっすぐ行った先の…

閉じ込められた部屋(42)

その時だった。 ガタン。 突然、大きな音が部屋に響いた。 真尋はその音に驚き、一度大きく体を震わせる。 「何? 何の音?」 思わず声を挙げていた。 音は頭上から聞こえた気がした。視線を上に上げる。 天井は50センチ四方くらいの四角いパネルが敷き詰…

閉じ込められた部屋(41)

真尋は、自分の目の前の壁に描き殴られた“全て、お前がやったんだ”という文字を隠すように、手に持った絵を再び壁に掛け直した。これ以上、その文字を見ていられなかった。 部屋は、耳が痛いくらいの静寂に満たされていた。 その静寂の中で、真尋の心の中で…

閉じ込められた部屋(40)

真尋が“父が存在しなかった世界”に逃げ込んでいた中で、一方では母は、“夫が失踪した世界”を一人で息を潜めるようにして生きていた。 あの夜、母が手にして家を出たスーツケース。あのスーツケースをどこに捨ててきたのか、そして今どこにあるのか、真尋は知…

閉じ込められた部屋(39)

母はその捜索願の中で、父は前日の土曜日に出かけたまま帰ってこない、と記載した。そして、財布などの貴重品やパスポートなどを持ち出して父は家を出た、とも記載した。 そう記載すれば父はあたかも家出をしたかのように装うことができたし、大人の行方不明…

閉じ込められた部屋(38)

5 閉じ込められた部屋の中。 壁に乱暴に掻き殴られた“全て、お前がやったんだ”という血のように赤い文字を前にして、真尋は呆然と立ち尽くしていた。 真尋は全てを思い出していた。 そうだ・・・。 全て、私がやったんだ・・・。 あの夜・・・。 私は、自分…

閉じ込められた部屋(37)

母は真尋の両肩から手を離すと、すっと立ち上がった。 黙って寝室を出ていく。寝室の外で、何かを取り出しているような音が聞こえる。しばらくして、母は寝室に戻ってきた。その手にはスーツケースを持っていた。父が出張に行く際に時々使用していたものだ。…

閉じ込められた部屋(36)

「真尋、そんなところで何をしてるの?」 背後からの突然の声に、真尋は緩慢な動きで後ろを振り返る。寝室からの物音で目が覚めたのか、母が寝室の入り口に立っていた。 真尋は何も答えなかった。ただ暗闇の中で眼を光らせながら、母の姿を見つめている。 母…

閉じ込められた部屋(35)

真尋は黙って寝室の入り口に立った。 そして中の様子を伺う。 部屋の隅にベッドが置かれていて、その上に一人の男が横になっている。会社から帰った時に着ていたワイシャツ姿のまま、毛布だけを体の上にかけていた。ときどき体を掻くような素振りをしていた…

閉じ込められた部屋(34)

ビールを浴びるように飲んだ父は、そして真尋に“しつけ”をすることに疲れた父は、そのまま風呂に入ることもなく寝室に引っ込んでいった。その日は金曜日で、次の日は土曜日。父の仕事は休みだった。そのような日は、この日の夜のように父は風呂に入らずに眠…

閉じ込められた部屋(33)

父の動きが止まった。 真尋は感情を失った目で、自分の前に立っている父を見上げる。父は赤黒い顔に、どこか残忍な笑みすら浮かべていた。 「お前、いつか逃げられると思っているんだろ」 「・・・」 「誰かが、いつかお前のことを助けてくれると思っている…

閉じ込められた部屋(32)

父の真尋に対する“しつけ”を母が知った日から、その“しつけ”は家の中では秘密でもなんでもなくなった。 それまでは小心者の父は、母が家にいない時にしかその“しつけ”をしなかったのだけど、もはや家の中では母の視線を気にすることもなくなっていた。 少し…

閉じ込められた部屋(31)

その“しつけ”が終わると、父は必ず、 「このことは絶対に誰にも言うなよ」 と濁った目を真尋にぎょろりと向けながら言った。 真尋はただ黙って頷くことしかできなかった。 他に何ができただろうか。6歳の幼い真尋は、その無慈悲な現実の前に立ち向かう術を…

閉じ込められた部屋(30)

父はそれを“しつけ”と呼んだ。 その日も家で気に入らないことがあったのか、父は朝から家でビールを飲み続けていた。何が気に入らなかったのかは分からない。きっと取るに足らない些細なことだったのだと思う。 そして冷蔵庫のビールが無くなると、いつもと…

閉じ込められた部屋(29)

4 真尋の父親は“佐藤健太郎”という名前だった。 父は、いつも家で酒を飲んでいるような人間だった。 父がどのような仕事をしていたのか、幼かった真尋には分からない。 ただ、仕事で少しでも自分の思ったように進まないことがあったら、そして少しでも嫌な…

閉じ込められた部屋(28)

目の前に広がる絶望の圧倒的な深さの前に、真尋はその正体から目をそらしそうになる。逃げ出しそうになる。その絶望の正体を知ってしまったら、自分はもう元の自分のままではいられなくなるかもしれない。そのことが死ぬほど怖かった。 それでも、私はこの絶…

閉じ込められた部屋(27)

それは、先ほどの部屋と同じように6畳くらいの小さな部屋だった。 そして先ほどの部屋と同じように、ドアの右側の壁に一枚の絵が掛けられていた。それ以外には何も置かれていない。机も置かれていなかったし、その上の紙も、この部屋には存在しなかった。 …

閉じ込められた部屋(26)

真尋はゆっくりとドアに近づく。 先ほどは全く開くことがなかったドア。そのドアに設けられた鈍く光るドアノブ。 右手を持ち上げ、そのドアノブを握る。金属製のドアノブの冷たさが真尋の手のひらを通じて、体の中に流れ込んでくる。真尋はそこで一度大きく…