創作ノート

短編小説を書いています。

エクリプスリアルム(2)

 

明子からの突然の電話のあと、有希は部屋の中に立ち尽くしたまま、しばらく呆然としていた。

その電話がかかってきたことが現実世界のことではないような気がした。どこか全く別の世界の出来事のようにも感じた。

美咲が、交通事故で亡くなった・・・。

有希は心の中で、明子の言葉を繰り返す。

何かの間違いではないのか・・・。

先ほどの電話は、白昼夢なのではないのか・・・。

右手に握るスマホに視線を落とす。だけどスマホの画面には、美咲の電話番号からかかってきた着信記録が偽りもなく表示されていた。

 

 

有希はR斎場の場所をスマホの地図アプリで確認し終えると、スマホをバッグの中に仕舞う。そして雨の中、再び歩き出す。

しばらく行くと、石垣と植木で囲まれた敷地が見えてきた。

ここだろうか。

敷地の中に視線を送る。

その植木の隙間から、駐車場と、その駐車場の隣に大きな建物が建っているのが見える。

そのまま石垣に沿って歩いていくと、敷地の入り口と思われる場所に着いた。幹線道路に面したその入り口には、”R斎場”というプレートが設置されていた。やはり思った通り、この場所が、美咲の通夜と告別式が行われることになっているR斎場だった。

有希はその入り口で、気持ちを落ち着けるかのように少し立ち止まる。

入り口からは車両用の道路がその敷地内に伸びていて、その道路に並ぶようにして歩行者用の通路が設けられていた。

通路の上を、黒い服で身を包んだ人が、二人並んで歩いているのが見えた。その二人は有希から少しずつ遠ざかっていき、そしてそのまま大きな建物の中に吸い込まれていく。

彼らも美咲の通夜の出席者だろうか。

そんなことを考えながら、有希はその敷地の中にゆっくりと足を踏み入れた。

建物の入り口では、

佐藤美咲儀 葬儀会場”

”通夜 6月2日 18時より”

”告別式 6月3日 10時から11時”

と毛筆で書かれた案内板が、花に囲まれるようにして立てられていた。有希はその案内板を黙って見つめながら、先ほどさしてきた傘を閉じる。入り口の横に傘を入れるためのポリ袋が用意されていたので、そこから一枚とって傘をその中に入れた。

そのまま入り口から建物の中に入ろうとした時に、入り口のすぐ横にR斎場内の簡単な施設案内図が設けられているのに気づいた。

有希はまた立ち止まって、その施設案内図に視線を送る。

R斎場には4つの葬儀式場があるようだった。

施設案内図の下にはそれぞれの葬儀式場の予定表が付いていて、その中の第一式場の欄にだけ“佐藤家”と書かれていた。他の3つは空白だった。その第一式場の場所を頭の中に入れる。そして建物の中に入り、記憶した施設案内図に沿って歩いていった。

第一式場の前では、白布を被された小さな机が一つ置かれていた。その机の奥側には若い女性が二人立っていて、記帳する弔問客に小さく頭を下げている。

その二人の顔に有希は見覚えがなかった。

美咲が勤めていた会社の人だろうか。それとも美咲の親戚の人だろうか。

そのようなことを考えているうちに有希の前の弔問客が部屋の中に消えていき、有希の番が来る。有希は小さな声で、

「このたびはご愁傷様です」

と言って、その二人の女性に小さく頭を下げる。そして机の上に置かれた芳名帳に自分の名前と住所を記入してから、バッグから香典を取り出して左側の女性に手渡した。

すると右側の女性が部屋の入り口の方に手を差し向け、

「通夜式が始まるまで、こちらの控室でお待ちください」

と有希に言った。

会葬者控室の中に入ると、広い部屋の中央に机が二つ並んでいた。椅子は置かれていない。部屋の中には通夜式を待つ弔問客はすでに20人ほど居て、立ったまま、ひそひそ声で話をしている。

有希は入り口から少し入ったところで立ちどまり、部屋の中に視線を巡らせる。弔問客の中に、有希が知っている顔は見当たらない。奈緒もまだ来ていないらしい。

後ろから、有希をすり抜けるようにして一人の弔問客が部屋の中に入って来た。

その背中を見て、このまま入り口の近くに立っていたらこの部屋に入ってくる人の邪魔になると気づき、有希は入り口とは逆の部屋の隅にゆっくりと歩いていく。そしてその隅に着くと背中を壁に付けるようにして、亡くなった美咲のことを小さな声で語り合っている人たちを眺めていた。

部屋の隅に立っていると、彼らの会話が小さな波動となって有希の耳にも届いた。

彼らの中には、美咲が勤めていた会社の同僚や上司、そして後輩といった人たちもいるようだった。

ある若い女性は、ハンカチで目頭を押さえながら、

「どうして佐藤先輩が、事故に・・・」

と小さく嗚咽を漏らしていた。その女性を慰めるかのように、少し年配の女性が黙って彼女の肩に手を置いている。

有希はその二人の様子を部屋の片隅から見つめていた。

そして見つめながら、有希は、美咲の事故死を伝える電話が明子からかかってきてから今まで、自分は一度も涙を流していないということに今更ながら気づいた。

 

 

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