「あ!」
有希は思わず、動画表示の左下に設けられている“▶︎”ボタンをクリックしていた。再生は停止され、動画の中の時間は完全に静止する。
時間が止まった世界の中では、ナイフを右手に握った男は有希のすぐそばまで迫っていた。そしてその男に相対するように、男の右手のナイフを見つめたまま恐怖と驚愕で顔を歪ませたもう一人の有希の姿が映っていた。その歪んだ顔のまま、完全に動きを止めていた。
有希は忌まわしいものであるかのように、右手で握っていたマウスから手を離す。そのまま椅子から立ち上がっていた。キャスター付きの椅子が有希の体に押し出されるように後ろに滑っていき、ベッドに当たって止まった。
このあと、画面の中の自分はどうなってしまうのか……。
もしかして、このあと自分は……。
強く奥歯を噛み締める。
嫌だ……。
有希は首を小さく左右に振る。そしてそのままデスクの前を離れて、その後ろにあるベッドの上に自分の体を投げ出した。毛布を頭から被って、耳を塞ぐ。
「嫌だ……嫌だ……嫌だ……」
毛布の中で何度も何度も呟いていた。
どうして自分は未来を知りたいと思ったのだろう……。
どうして自分はあの動画の再生ボタンを押してしまったのだろう……。
有希は、未来を知りたいと思った自分自身を呪っていた。そして、未来を知りたいと少しでも思った自分自身を心の中で罵っていた。この画面に映された自分のその後の未来を知るのが怖かった。もう、未来なんて知りたくなかった。
有希は両目を強く瞑る。
だけど、毛布に包まれた暗闇の中で、先ほど目にした恐怖と驚愕で歪んだ自分の顔のイメージがどうしても消えてくれない。逆に、自分を呪うたび、自分を罵るたびに、その顔はよりはっきりとした輪郭をもって、有希の前でゆらゆらと揺らめいていた。
「お願いだから……消えて……」
有希は、そのゆらめき続ける未来の自分に向かって呟く。その声は、悲しいくらいに震えている。
その未来の自分は顔を歪ませたまま、有希に向かって、
“助けて”
と言った。有希は両耳をふさぐ手に力を入れる。だけど、その“助けて”の声は、有希の両手をガラスのようにすり抜けて有希の頭の中に響く。どんなに目を瞑っても、どんなに耳を塞いでも、その声は消えてくれなかった。
「助けて……」
今度は有希自身の口から同じ言葉が零れていた。その言葉は毛布の中で漂い、有希の耳に届く。
この助けを求める声は、誰の声なのか……。
未来の私の声なのか……。
それとも、今の私の声なのか……。
もはや、その“助けて”という言葉が誰の言葉なのかも分からなかった。
「助けて……助けて……助けて……」
有希は呟き続ける。その助けを求める声は、何度も有希の耳を通り抜けていく。その中で、ある一つの疑問が、水の底からゆっくりと顔を覗かせるかのように有希の中で徐々に浮かび上がってきた。
今の自分は、誰に助けを求めているのだろう……。
そもそも、助けが必要なのは、今の自分なのだろうか……。
そうではなくて、本当に助けが必要なのは画面に映る未来の自分の方なのではないのか……。
そして、動画の中の未来の自分を救えるのは誰なのか……。
今の自分しか、いないのではないのか……。
そのとき、何の前触れもなく、先ほど電話越しで聞いた藤田の言葉が有希の中で蘇る。
もしもその未来が自分の望む未来とは違っていた場合、未来を知ること自体が、その未来を変える手助けになるかもしれない。
そうか……。
そうなんだよ……。
有希は被っていた毛布を頭から剥ぎ取る。
そしてベッドから起き上がり、デスクの前に歩み寄る。ディスプレイの中では、顔を歪めた自分自身の顔が映っている。だけど今度は、その自分の姿から有希は目を逸さなかった。
未来の自分を救えるのは、今の自分しかいない。
未来を変えるためには、自分はこの動画を最後まで見なければならない。三日後の自分に何が起こるのか、それを今知らなければならないのだ。
有希は椅子をデスクの前に引き寄せ、静かに座る。
そして再び、右手でマウスを握った。