創作ノート

短編小説を書いています。

エクリプスリアルム(15)

 

6月17日の朝、出張の準備を終えて家を出ようとしていた有希のもとに、鈴木から突然電話がかかってきた。

それまではメールやweb会議でやり取りをしていて、電話がかかってきたことは一度もない。藤乃屋に出張するということで、何かあった時の緊急連絡用として、昨日、鈴木の電話番号をスマホの電話帳に登録したばかりだった。

何かあったのだろうか。嫌な予感を感じつつ、電話に出る。

「はい」

「あ、藤乃屋の鈴木です」

いつもはのんびりしている口調も、焦ったように少し上擦っている。

「いつもお世話になっております。山下です」

「ニュース、見ました?」

社交辞令を抜きにして、鈴木が単刀直入に話し出す。

「……何か、あったのですか?」

「やっぱり。山下さんはまだ見ていないかもしれないと思って電話したんですけど、良かった」

鈴木の言葉に、有希は少し身構える。

東北新幹線、システム不具合で朝から全線不通になっているんですよ」

「え? 新幹線が、ですか?」

新幹線が不通になることは珍しい。正直そのような事態は全く想定していなかった。

「そうなんですよ。だからうちの旅館にも、新幹線が止まって行くことができなくなったお客様から朝から予約の変更やキャンセルの電話がかかってきていて、その対応に追われて大変なんですよ」

鈴木は、有希の撮影よりも客足への影響の方を気にしているような口ぶりだった。だけど客商売をしている旅館としては、それも仕方がない。そのような中でも有希に連絡をしてくれたことには感謝していた。それを知らずに東京駅まで行って、そこで新幹線の不通を知ることになっていたら、そのまま駅で復旧まで延々と待たされることになってしまっていた。

「知りませんでした。わざわざご連絡をいただき、ありがとうございます」

藤乃屋の撮影は一日いっぱいを予定している。今日遅れてS市に行ったとしても、予定していた撮影を全て終えることができるかは怪しかった。

とりあえず今日の予定はキャンセルとして、変更日は新幹線の復旧状態の様子を見て別途決めましょうと鈴木と話をし、電話を切る。

鈴木との電話を終えると、有希はすぐに藤田に電話をする。

藤田も新幹線の不通のことは知らずに、「そうなんですか……」と言葉を失っていた。

「前途多難ですね……」

「何を言っているんですか。この仕事にトラブルはつきものですよ。大切なのは、そこからどのようにリカバリーするかです」

自分でもフォローになっているかどうかも分からないまま、藤田を励ましてから電話を切った。

午後5時になって、JR東日本のホームページに東北新幹線復旧の通知が掲載された。

それを確認して有希はすぐに鈴木に電話をかけて、撮影の変更日を相談する。運良く有希も藤田も、そして藤乃屋側も6月18日は空いていた。

そうして、撮影日は、翌日の6月18日とすることに決まった。

 

藤田が撮影用機材の準備をしている。

藤田愛用のS社のミラーレスカメラに、撮影するシーンに合わせてレンズを装着する。そして手ブレ抑制のため、ジンバルも取り付ける。これから撮影するシーンでは、映像に動きを出すために藤田がカメラを手に被写体の周りを歩いて撮影することになっていた。

今、有希たちは藤乃屋の正面玄関の前に立っている。

広々としてゆったりとした大きな玄関口の右側に、「藤乃屋」という文字が達筆で書かれている。その玄関口の左右には提灯が掲げられていて、夜は明かりが灯るらしい。だけど今はまだ午前11時で、明かりは灯ってはいなかった。それでも6月の初夏の日差しを受けて、涼しげな白色を照り返していた。

その場には、有希と藤田と鈴木、そして藤乃屋の社長である佐々木剛がいた。動画の中で、佐々木が藤乃屋の売りを紹介していくことになっている。佐々木は旅館の雰囲気を出すということで、藤乃屋の従業員が着ている紺色の和装を着ていた。佐々木と鈴木は有希たちとは少し離れて立っていて、二人で何やら和やかに談笑をしていた。

「カメラの準備ができました」

藤田が、後ろに立つ有希を振り返る。

有希は藤田に「わかりました」と一言告げてから、鈴木と佐々木のもとに歩み寄り、佐々木に、

「それでは佐々木社長、お願いします。先程の打ち合わせ通りに話していただければ大丈夫です」

と言葉をかけた。

佐々木は少し緊張したような面持ちで一つ頷くと、藤田の持つカメラの前に立つ。

「録画開始しているので、ご自分のタイミングで始めてください」

藤田はカメラを構えながら、佐々木に言葉をかける。10秒ほど間を開けて、佐々木がカメラに向かって喋り出した。

宮城県S市に位置する老舗旅館“藤乃屋”は、100年以上に渡り、訪れる旅人たちに寛ぎと癒しを提供し続けてきた宿です」

佐々木は喋りながら、ゆっくりと建物に向かって歩いて行く。それに合わせて、藤田もカメラを持ってついて行く。

「伝統的な和の趣と現代的な設備が融合した客室は、旅の疲れを忘れさせてくれる空間です。広々とした露天風呂からは、四季折々の風景を眺めながら、心ゆくまで温泉を堪能することができます……」

特に問題もなく、藤乃屋の建物外観の撮影は終わった。

次は、建物の中の撮影をすることになっている。

有希と藤田は、鈴木に先導されるようにして、その提灯が掲げられた玄関口の中に入っていった。

 

 

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