創作ノート

短編小説を書いています。

エクリプスリアルム(60)

 

今日の17時13分に有希が殺されることになる東京都A区の街角は、A駅から歩いて20分くらいの距離にあった。有希自身はA駅で下車するのは初めてだったが、その街角の場所は地図アプリに入力してある。A駅に向かう電車の中でも、その地図アプリを開いて現場までの道順は頭の中に入れていた。

「こちらです」

有希は改札の右手側の出口を指し示す。藤田はその手の先に視線を送ったあとに、再び視線を有希に戻して小さく頷いた。

出口を出ると、駅前のバスロータリーが見えた。バス停には学校帰りの学生と思しき制服姿の若い女性が、必死に手元のスマホを操作しながらバスが来るのを待っていた。また別のバス停では、腕時計をしきりに気にしている、スーツ姿に身を包んだ中年男性が立っていた。

現場までの道を知っている有希が藤田を先導するようにして歩く。藤田はそんな有希の隣に並ぶようにして、その半歩後ろを歩いていた。その間、有希も藤田も一言も喋らない。どこか寒々とした嫌な緊張感が二人を包みこんでいる。それも仕方のないことなのかも知れない、と有希は思った。だって、自分が死ぬことになる場所にこれから向かっているのだから。

駅前のスクランブル交差点で信号が青になるのを待ち、そして青に変わると同時に、有希と藤田は他の人々の群れが行き交う中を前に進む。彼らの半数は駅の中に消えていき、そしてもう半数は駅から街へと消えていく。有希と藤田は交差点を渡りきると、少し道幅が広めに作られている都道に沿って黙って歩き続けた。

六月下旬の昼下がりの街は、ひどくまぶしくて、そしてひどくのどかだった。都道は片側三車線となっていてかなり広い道路だったのだけど、交通量はそれほど多くない。その都道に沿うように設けられている歩道にもそれほど人通りは多くなかった。飲食店やドラッグストアなどが立ち並んでいたが、何気なくその店内に視線を向けると、店員が暇そうにしてレジの前に立っていた。

その都道を十五分ほど歩くと、一つの交差点にぶつかった。

そこで有希は立ち止まり、念の為、地図アプリで自分の位置を確認する。この交差点を左折した少し先に、事前に入力しておいた”あの場所”を指し示す赤いマークが表示されている。この交差点で間違いないようだ。

有希は、自分の右横に立つ藤田に顔を向ける。藤田は、有希と同じように交差点を前にして立ち止まり、そして神経質に周りに視線を巡らせていた。

「ここで信号を渡って交差点を左に曲がります。そして道に沿って少し進むと、あの場所にたどり着きます」

“あの場所”とはどのような場所なのか。そんなことはもはや説明は不要だった。その言葉で全てを理解した藤田は、緊張した面持ちのまま、何も言わずに微かに顎を引いて頷くような仕草を見せた。

信号が青になるのを待って、二人は交差点を左折して信号を渡る。そしてそのまま目の前の道を歩いていく。

片側一車線の道路は、先ほどの都道よりも狭い。その道路を時々思い出したかのように車が走っていくが、交通量は先ほどの都道よりもさらに少なかった。そして緑の街路樹で道路と区切られた歩道では、近くを歩いているのは有希と藤田の二人だけで、それ以外では二人の遠く前方に、二人と同じ方向に向かって急ぎ足で歩いている小さな背中が一つ見えるだけだった。何も知らない人が見れば、どこにでもあるような本当にごく普通の都会の街角でしか無かった。

二人はしばらく黙って歩き続ける。

すると、ゆっくりと、有希の目に“あの場所”が見えてきた。

動画の中で何度も何度も見ていた、映像の中のあの景色。

自分が殺された街角。

有希は両手の拳を強く握る。歯を強く噛みしめる。そうでもしていないと、恐怖に負けて逃げ出してしまいそうだった。逃げ出しそうになる自分を必死に押さえつけて、それでも歩き続けた。

そして、突然立ち止まった。

横に並んで歩いていた藤田は、有希が立ち止まったことに気付かずにそのまま数歩歩く。そして自分の隣に有希がいないことに気づいて立ち止まり、後ろを振り返った。有希は真っ青な顔で、ただじっと足元の地面を見つめていた。

「ここです……」

有希は呟くように言う。感情が欠落したひどく平坦な口調だった。

「この場所で、私は……」

言葉が続かない。ガタガタと震えだす。どんなに止めようと思っても、その震えを止めることが出来なかった。ただ、その数時間後に自分が倒れることになる地面をじっと見つめながら、映像の中のその時の光景を思い出さずにはいられなかった。

地面に横たわる私。その私の周りに徐々に広がっていくドス黒い血溜まり。その中で生気が急速に失われていく私の目……。

その時突然、誰かの手が肩に触れるのを感じた。

有希が顔を上げると、悲しそうな表情の中に、有希を安心させるためか少しだけ笑みを交えた藤田の顔がそこにはあった。

「大丈夫ですよ……。きっと、うまくいきます」

大丈夫、か……。

なぜだったのだろう。藤田が「大丈夫」と言えば、本当に大丈夫な気がした。本当に自分が明日を生きられるような気がした。ふと、有希の視線が藤田の背後に流れる。そこには、街灯に取り付けられた街頭防犯カメラが、そのレンズを二人に向けているのが見えた。

「映像の中で、私はこちらの方向から歩いてきます」

有希は、二人が先ほど歩いてきた方向を指し示す。

「そして、ここで立ち止まります。その二分後に、あちらの方向から男が歩いてきて、この場所で二人は出会うことになります」

「なるほど……」

藤田はキョロキョロと周りに視線を巡らせる。

おそらく、自分が身を隠せる場所を探しているのだろう。道路側は街路樹があるだけなので、身を完全に隠すのは難しそうだった。道路を挟んで反対側であればまだ身を隠せそうな場所も有りそうだが、男がナイフで有希を刺すのに間に合わないのであれば仕方がない。この現場からあまりに離れた場所も候補から外れていった。

自然と、有希と藤田の視線は、歩道に沿って立ち並ぶいくつかの建物に向かった。

映像の中で見たのと同じように、歩道に沿うように三つの建物が並んでいる。その三つ目には、映像でこの場所を見つける手がかりとなる“たかはし工務店”の事務所も見えた。

 

 

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