創作ノート

短編小説を書いています。

エクリプスリアルム(34)

 

5月23日(木)

今日は21時まで残業。

ここのところ付きっきりで取り組んできた一つの仕事の山場がとうとう明日やってくる。その準備に今日は一日中追われていた。

私が所属する部署は、エネルギー開発の上流分野ビジネスを扱っている。事業を展開しようとしている国のリスク、つまり、起こり得る政治動向の変化や天災、紛争、事業停止などが現実となった場合、会社にどれくらいの影響があるかなどを調査、分析して経営陣に報告を行う。そのためには営業部隊と緊密に連携して調査、分析を行う必要があって、それだけでも大変な仕事だ。

その経営陣への報告については、若手メンバーに経験を積ませようという上司の考えもあって、その大役になぜか私に白羽の矢が立ったのだ。

ここ二週間はその対応に追われる日々が続いている。

今日は経営陣への報告を明日に控えているということで、上司と先輩相手に報告の事前リハーサルを行った。

指摘やアドバイスを山ほど貰ったけど、最後に上司から、

「ここまで出来ているのなら、いいんじゃないか。あと少しだから頑張ろう」

という言葉をかけてもらった。いつもは厳しいことしか言わない上司だったから、このように優しい言葉をかけられると嬉しいし、泣きそうになってしまう。泣かなかったけど……。

リハーサルでの指摘を元に資料を直していたら、会社を出るのが21時過ぎになってしまった。

明日は本番だ。

頑張ろう。

 

茜からはやはり返事はない。5月21日に私が送ったメッセージも未読のまま。本当にどうしたのだろう。少し心配だったので、

「大丈夫? 仕事が忙しいのかな?」

というメッセージを、夜に送ってみた。

 

 

5月24日(金)

今日は経営陣への報告の日だった。

時間は14時から。上司は隣についていてはくれるけど、報告も、そして経営陣からの質問に対する回答も私がやらなければならない。

心臓の速い鼓動を感じながら、13時45分には、報告が行われる役員会議室に向かった。

時間通りに報告は始まり、上ずる声を必死に押さえつけながら何とか報告を終えると、質疑応答に入る。

色々と質問が出たけど、大丈夫だ。事前に想定したものだったので、それらの質問に一つ一つ答えていく。だけど最後に常務から全く想定外の質問が飛んできた。私は頭が真っ白になった。言葉が口から出てこない。嫌な沈黙が数秒流れた。

そのとき、隣に座る上司が、

「この件については私から回答いたします」

と言葉を口にした。私は驚いて隣を見ると、上司は一瞬私に冷たい視線を送り、そして小さく頷いた後に、その視線を常務に戻して言葉を続けた。

経営陣への報告も終わり、私は肩を落として自分の居室に上司と一緒に戻った。特に上司も私も何も言わなかった。私の頭の中では、最後の質問のシーンがぐるぐると巡っていた。

居室入口で上司と分かれる時、上司が立ち止まった。私も立ち止まる。最後の質問について厳しいことを言われるかと思い、心の中で身構える。だけど上司から出てきた言葉は予想外のものだった。

「思ったよりもよく出来ていたよ。最後の常務の質問も、出来の良い報告に対してちょっと意地悪をしたくなっただけだろう。気にすることはない」

私はぽかんとして、その上司の顔を見ていた。

その言葉は落ち込んでいる私に対するただのフォローだったのかもしれない。でも、それでも私にはその言葉が嬉しかった。

何はともあれ、これで仕事の一大イベントは終わった。

 

明日は久し振りに有希に会える。

ここのところ仕事で気が張り詰める日々だったから、明日は気分転換も兼ねて目一杯楽しむぞ。

 

 

5月25日(土)

今日は有希と遊んだ。

午前中、新宿駅で待ち合わせをして、一緒に今年の夏服の買い物をした。お互いに一着ずつ買ったところで少し遅めのランチ。店は有希が事前に調べてくれて、路地裏にある隠れた名店といった雰囲気のパスタ屋に入った。有希いわく、今、じわじわと人気の出ている店らしい。やはり、映像クリエーターだけあって、このような最近のトレンドには敏感だ。

私がクリームソースのパスタを、有希はシーフードのパスタを選ぶ。

一口食べて、このお店は美味しいお店だって分かった。有希の食べていたシーフードも美味しそうだったから、次に来る機会があればシーフードパスタを食べてみよう。

そのランチの席で、理想とする結婚相手の話になった。

現実主義者の有希は、

「独立して色々と忙しいから、まだ結婚は考えていないかな。まずは仕事をもっと軌道に乗せてから」

と言っていたけどもったいない。見た目は可愛らしく、いい奥さんになると思うんだけどな。私がそのようなことを言っても、

「何言っているの。美咲のほうがいい奥さんになりそうだよ」

と返してくる。

私は自分の父親のことがあるから、家族を持つことにどうしても二の足を踏んでしまう。だけどそれと同時に家族というものに自分でもびっくりするくらい強いあこがれを感じる時もある。

ただ一つだけ確かなのは、有希とこんな他愛のない会話をすること自体が、とても幸せだということ。

平凡な日常だとしても、その日常の中にこそきっと幸せは隠れている。

 

 

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