創作ノート

短編小説を書いています。

エクリプスリアルム(18)

 

その出来事の後、有希は仕事に集中することが全くできなくなっていた。

緑翠の間の撮影の後も旅館の中の撮影をいくつか予定していたのだけど、その途中で段取りを間違えたり、佐々木への指示を間違えたりしてしまう。その度に佐々木や鈴木からは、この人は大丈夫なのだろうか、という不安な目で見られていることは分かってはいた。だけど、有希にはどうしようもなかった。頭の中では、エクリプスリアルムで見た動画のことが消えてくれなかった。

なぜ、あの動画で映っていた光景が、今、目の前で再現されたのか……。

そのようなことがありうるのか……。

何かの間違いではないのか…。

ただの偶然ではないのか……。

だけど、そのような偶然が本当にありえるのか……。

心の中から湧き出す様々な疑問を、どうしても押さえ込むことができなかった。

そのような中で、藤田が有希のことを色々とフォローして、予定していた藤乃屋の撮影を進めてくれていた。もし藤田がいなかったら、その日の撮影は悲惨な状態なまま終わっていたかもしれない。有希がこのような状態であっても、冷静に対応して撮影を進めてくれた藤田には本当に助けられた。

予定していた撮影を何とか終えると鈴木たちとは藤乃屋の前で別れ、有希と藤田はタクシーでS駅に向かう。そしてそのまま東京行きの新幹線に飛び乗る。

新幹線の中は、同じように地方に出張に行って東京に帰る途中なのだろう、スーツ姿の乗客が目立つ。空いていた二人掛けの座席に有希と藤田は並んで座った。

その帰りの新幹線の中でも、有希はずっと黙っていた。すでに午後6時を回っており暗闇に徐々に包まれていく車窓の外の風景を、じっと見つめていた。藤田は藤田で、有希の隣の席で黙って文庫本を読んでいる。

撮影の途中から有希の様子がおかしかったこと、そして今、一緒に新幹線に乗っている有希も、いつもの有希の姿ではないこと、そのことに藤田は気づいていたのだろう。だけど藤田の方も何かを察したのか、有希にそのことを問いただすこともなく普通に接してくれている。藤田のことに気を回す余裕を失っていた有希には、その藤田の態度がありがたかった。

有希は、窓の外を流れる景色を見るともなく見ながら、だけど頭の中では、あの動画のことをずっと考え続けていた。

あの動画のタイトルは“Date: June 18. 2024”となっていた。

そして今日が、その6月18日なのだ。

動画の右下には時刻表示もついていて、動画が終わった時の時刻は、午後1時58分だった気がする。そして、あの動画のシーンが緑翠の間で再現された時の時刻も午後1時58分だった。日にちも、時刻も完全に一致している。

そしてその動画は、今から2週間前に、エクリプスリアルムというサイトに誰かが上げたものなのだ。

つまり、今日撮影された映像が、2週間前に上げられたことになる。

そんなことが、本当にありえるのだろうか。

有希の心の中では、“そんなこと、ありえるはずがない”という、この世界の常識をまだ信じる自分がいた。

きっと、何かの間違いだ。

2週間前に見ただけで、そのあとはずっと忘れていたのだ。自分の記憶違いで、似てもいないものを勝手に同じと思い込んでいるだけかもしれない。それを確かめるためにも、まずはエクリプスリアルムの映像と、今日撮影した映像が本当に同じものなのか、それを確認しなければならない。

有希は車窓から、右隣に座って文庫本を読んでいる藤田に視線を移す。

「あの、藤田さん」

「え、あ、はい。何ですか?」

いきなり声をかけられたことに驚きながら、藤田が有希の方に顔を向ける。

「今日、藤乃屋の緑翠の間を撮影したときに、佐々木社長が転んでしまった場面がありましたよね?」

「ああ。足がもつれて、転んでしまったやつですよね」

「はい。そのときに撮影したデータは、消さずにまだ残っていますか?」

「残っていますよ。ミステイクの映像でも後で何に使うか分からないので、依頼の仕事が終わるまではいつも残すようにしています」

藤田のそのプロフェッショナルとしての意識に感謝しつつ、「その動画についてなのですが」と言葉をつなぐ。

「家に戻ってからでいいので、その動画ファイルを私に送ってもらえませんか?」

「構わないですけど、何かに使うんですか?」

「うん。ちょっと確認したいことがあって……」

有希は言葉を濁す。

自分でもまだ信じられないのだ。エクリプスリアルムに上がっていた動画について、藤田に話すのはさすがに憚られた。言ったとしても信じてくれるわけがない。そのようなことを話した自分が不審な目で見られるだけだ。

藤田はそれ以上尋ねることもなく、「分かりました。帰ったらすぐに送ります」と言った。

藤田とは東京駅で別れ、有希は寄り道をすることもなく自分の家に向かう。そして自分の家に帰り着くと、荷物をリビングの隅に置いて、外出着のまま仕事用デスクに向かった。

パソコンを立ち上げメールソフトを開くと、藤田からすでに一通のメールが届いていた。件名は“今日の動画について”となっている。受信時間を見ると、ほんの10分前になっていた。本当に家に戻ってからすぐに送ってくれたらしい。

メールの文面は藤田らしく、

“今日はお疲れ様でした。先ほど新幹線でお願いされた、緑翠の間の動画ファイルは、仕事用サーバーに保存しました”

と簡潔に要件が書かれていた。

その文面の一番下に、サーバーアクセス用リンクが添付されている。有希がそのリンクをクリックすると、フォルダが立ち上がった。そのフォルダには、“緑翠の間”と名前の付けられた動画ファイルが一つ入っていた。

 

 

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