創作ノート

短編小説を書いています。

エクリプスリアルム(8)

 

 

時計を見ると、10時を回っていた。

いけない、打ち合わせに遅れてしまう。

有希はコーヒーを淹れたカップを手に持って、部屋の片隅に置いている机に向かう。

部屋は1Kでそれほど広いわけではない。それでも在宅で働くためにと、部屋の一角に仕事用スペースとして机を置いていた。

仕事をするときはできるだけ快適に作業をしたいと思って、それまでの会社を辞めて独立する時に作業スペースがしっかり取れる大きな机を買ったのだ。それで小さな部屋はますます狭くなってしまったが、有希はそんなことは気にしなかった。快適に仕事ができることの方を喜んで選択した。

大きな机と、その上のマックのデスクトップパソコン。そしてその横においている併設モニター。机の上の棚にはプリンターも置かれている。そこが、今の有希の仕事場だった。

有希は現在、フリーランスの動画編集者として、自宅で仕事をしている。

クライアントは中小企業が多く、有希はそれらの企業のPR動画や紹介動画を作成している。動画の方向性についての打ち合わせを行うときは、そのクライアントの企業まで出向くこともあったが、基本的には自分の家で仕事をしていた。仕事で外に出る場合と言ったら、クライアントの担当者と打ち合わせをするときくらいだった。

有希は机の前の椅子に座り、パソコンを起動させる。

そしてすぐに、web会議システムにアクセスした。

画面に、待ちくたびれたような顔をした二人の映像が映された。

「もう、有希さん、遅いですよ」

その中の一人、小林優奈が少し口を尖らせて言う。

彼女は有希と一緒に動画編集を行なっている。

大学で映像制作を専攻し、卒業後は映像制作会社に就職して、その後にフリーランスとして独立したと本人の口から聞いている。映像制作会社では音楽ビデオやドキュメンタリー映像の編集を行なっていたらしく、一度その当時の映像を見せてもらったのだけど、細部まで作り込まれた、見る人の目を惹く動画だった。

真面目で几帳面。仕事に対する情熱が強く、妥協を許さない性格。

そこが仕事のパートナーとして有希は好きだった。

「まあ、まあ、山下さんも色々と忙しいんですよ」

優奈よりも一回り年上の藤田健一が、優奈をとりなすように言う。

彼にはカメラマンとして、動画編集に使う様々な素材動画を撮影してもらっている。

写真専門学校を卒業後、広告写真スタジオに勤務して、その後に、映像撮影を手掛ける制作会社に転職。だけど数年後にフリーランスとして独立して、主にドキュメンタリーや広告映像の撮影を行なっていたという。

彼が撮影する映像はセンスが良く、映像に対する美的感覚が優れていた。それに何よりも、現場で何か不測の事態が起きた時でも冷静に、そして臨機応変に対応してくれる。

仕事のパートナーとして有希にはとても頼もしかった。

有希が新卒で就職したクリエイティブ・エージェンシーを退職して、フリーとなってからもう2年が経つ。

クリエイティブ・エージェンシーでは映像ディレクターとして数々の広告キャンペーンを手掛けていた。仕事も充実していたのだけど、もっと自由に、そして自分のペースで仕事をしたいと思い、2年前に会社を辞めたのだ。フリーとして活動を開始しようとした際に、一緒にチームとして働いてくれるメンバーを探した。そこで、それまでの会社員時代に有希が培ってきた様々なツテから、優奈と藤田を紹介してもらった。

有希がディレクターを兼ねるような形でクライアントとの打ち合わせを行い、どのような動画を作っていくかを詰める。その内容に沿って、優奈と藤田に作業の指示を出す。そして出来上がった動画の最終的な調整や修正を有希自身が最後に行って、クライアントに納品する。今は、そのような流れで仕事をしていた。

有希は、パソコン画面に向かって、

「会議に遅れて、ごめんなさい」

と頭を下げる。

モニターの上に設置したwebカメラを通して、有希が頭を下げている様子は画面の向こうの二人のディスプレイにも映っているはずだ。

「ちょっと考え事をしていて・・・」

「考え事ですか? 仕事のことですか?」

優奈があっけらかんと聞く。

有希は「色々とあってね・・・」と答えた。

そう、色々とあったのだ。

美咲の通夜式に出席してから、まだ二日しか経っていない。

「何があったんですか?」

画面に藤田の少し心配そうな顔が映った。

いけない、今は仕事に集中しなければ。

有希は、「いや、何でもないの」と首を横に振った。横に振りながら、頭に残っている二日前の通夜式の光景をむりやり自分の頭から追い出した。

「それよりも、今の案件についてだけど・・・」

 

 

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