創作ノート

短編小説を書いています。

エクリプスリアルム(13)

 

 

「昨日、マルシェ・アンジュに行って、指示通りに素材動画を撮影してきました」

画面の向こう側で、藤田がいつものように落ち着いた口調で話す。

有希は、毎朝10時から定例として行なっているチームの打ち合わせに参加していた。参加者は有希と、そして一緒にチームを組んでいる藤田と優奈の三人。いつものようにweb会議システムにアクセスしていて、画面には藤田と優奈の顔が映し出されている。

「ありがとうございます。こんな間際になって、追加素材撮影のお願いをしてしまって、本当にごめんなさい」

「何を言っているんですか。少しでもいい動画を作るためですから、気にしていないですよ。それに、いつものことですから」

藤田はイタズラっぽく笑みを浮かべる。

「本当に、有希さんは人使いが荒いんだから」

画面に映った優奈が少し口を尖らせながら、芝居かかった口調で言う。

「本当にごめん。後で何かで埋め合わせをするから」

現在、有希たちが仕事として受けている動画制作の依頼は、もう納品の締切が明日に迫っていた。

納期を遅らせることは絶対に駄目だ。それこそ信用問題に関わる。フリーという立場だからこそ、その信用というものは何よりも大切にしなければならない。かと言って、気になるところは最後の最後までこだわって作りたかった。そこにこだわりたいというのも有希がフリーになった理由の一つだったので、手を抜くわけにはいかなかった。

「撮影した動画ファイルは、いつものサーバーに保存しておきました」

「ありがとうございます。それじゃ、優奈。その素材を使って、昨日私が言ったような形で動画編集をお願い」

「わかりました」

今度は、優奈は素直に返事をする。

普段おどけた口調で話していても、仕事に対しては真面目で、しっかりと対応してくれる。対等な仕事仲間としての顔がそこにはあった。

マルシェ・アンジュは神奈川県を本拠地とするスーパーで、地域密着を標榜している。地元産の新鮮な食材にこだわり、手作り惣菜も人気で、近年、オンライン販売にも力を入れていた。

そのマルシェ・アンジュのマーケティング部部長である松本美和から仕事の依頼が来たのは3週間前だった。

オンライン販売の売り上げが伸び悩んでいる。商品の魅力を効果的に伝えられる動画コンテンツが欲しい。ターゲット層である主婦たちに合わせた動画作成を依頼したい。

それが仕事の依頼内容だった。

有希が松本美和と打ち合わせを重ねる中でどのような動画を作っていくかのイメージをすり合わせ、そのイメージに沿って藤田はマルシェ・アンジュまで赴いて素材動画の撮影を行った。そしてその動画を元に、優奈が編集作業を行なっていた。

だけど有希は、スーパーで食材を買う客たちの素の姿の映像をどうしても追加で入れたくて、昨日藤田には一日マルシェ・アンジュに詰めてもらって、そのシーンを撮影してもらっていたのだ。自然な様子を撮影するためまずは何も伝えずに客を撮影し、後でその客から動画として使用をしてもいいという許可をもらえたものだけを動画制作に使用する予定だった。

Web会議を終えると、有希は昨日までに優奈が編集し終えた動画ファイルを確認していく。そして必要に応じて動画の調整や修正を行なっていく。

これから優奈の方では、昨日藤田が撮影した映像の編集を行うことになっていた。きっと優奈であれば、今日の夕方ぐらいまでには仕上げてくれるはず。

それを受け取った有希が最後、納品できる状態まで動画を仕上げることになる。納品締め切りは明日の午前9時。ぎりぎりにはなりそうだけど、今回もなんとか締め切りには間に合いそうだ。

有希は気合いを入れるように、一度大きく深呼吸をしてから、再び動画の確認作業に取りかかった。

美咲のメールを見てから、つまり、“エクリプスリアルム”のあの動画を見てから一週間が経っていた。

あの動画を見た夜、有希は、背筋から這い登ってくるような薄気味悪さを感じながらブラウザを消した。そしてすぐにパソコンをシャットダウンして、ベッドの中に潜り込んだ。

これは他人の空似なんだ……。

自分に似た女性の映像をたまたま見つけた美咲が、気まぐれで送ってきただけなんだ……。

心の中では、必死になって自分自身に言い聞かせていた。

次の日の朝が訪れると、それまでと同じように仕事に追われる日々が有希を待っていた。特に変わったことは何も起こらなかった。

そのような日々を過ごし、一日、二日と時間が経つ中で、有希は動画のことをいつしか忘れていた。

 

 

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