創作ノート

短編小説を書いています。

05 見知らぬ女

見知らぬ女(30)

「和美」 菜摘が声をかけると、和美は公園の中から早足で歩いてくる菜摘に視線を向ける。そして、「やっぱり菜摘だったんだ」とぽつりと呟くように言った。 「どうしてブランコになんて、乗ってたの?」 「いや、久し振りにD公園に来てブランコを見て、小学…

見知らぬ女(29)

菜摘の前で、D公園は黙って佇んでいた。 小学校の校庭の半分ほどはありそうな広い公園なのだけど、その公園の中には人の姿は見えず、がらんとした空虚な空間が広がっている。平日の午後一時過ぎだと、まだ子供たちは学校に通っているのだろう。子供たちの姿…

見知らぬ女(28)

「そうなんだ」 「……うん」 「でも、真衣はもう亡くなっているんだし、高校の時のノートを返さなくても誰も何も言ってこないよ」 和美の口調は、どこか菜摘を突き放すような響きをその中に内包していた。面倒なことに関わり合いたくないと思っているのかもし…

見知らぬ女(27)

和美からのメッセージには「私の家と真衣の家が近い」と書かれている。和美の家と真衣の家が近いということは、真衣の家と菜摘の家が近いということでもあった。 そんな近くに真衣が日々を暮らし、学校に通っていたなんて全く知らなかった。 菜摘の実家から…

見知らぬ女(26)

佐々木真衣は確かに高二のときに亡くなっている。 元クラスメート、そして元担任の岡本にも確かめている。複数人からの証言があり、それはもう覆らない。 もしそれが事実なのだとしたら、菜摘の部屋の前までやって来たあの白い影は誰なのか。菜摘に「佐々木…

見知らぬ女(25)

「ううん。何でもない」 菜摘は小さく首を横に振り、取り繕うように言葉を口にする。右手をテーブルの下に隠し、震えが止まるようにと強く箸を握りしめた。顔には作り笑いを浮かべながら。瑞恵はそんな菜摘の様子を、どこか訝しむような表情をして見ていた。…

見知らぬ女(24)

6 「菜摘、夕ご飯の支度ができたから、降りてきなさい」 階下から、母である瑞恵の声が聞こえた。 菜摘は「分かった」と答えて椅子から立ち上がる。部屋を出る時に電灯のスイッチを切って、階段を降りていった。 ダイニングテーブルには料理が湯気を立てて…

見知らぬ女(23)

菜摘は玄関口をくぐり、外に出る。 十月の秋の空は菜摘の心の中と裏腹に綺麗に晴れ渡り、午後のまだ早い時間の中、太陽の光が世界に降り注いでいた。 突然薄暗い世界から光の世界に投げ出された菜摘は、眩しくて目を細める。校舎の正面にはグラウンドが広が…

見知らぬ女(22)

「真衣は……」 「え?」 「真衣自身は、母親がそのいじめの話をしている時に、何か口にしたのですか?」 「……いや」岡本は小さく首を横に振る。 「結局しゃべっていたのは母親だけで、佐々木は一言も口を開かなかった。ずっと顔を俯かせて、何も置かれていな…

見知らぬ女(21)

「……注意、ですか?」 「そうだ」 菜摘はその先を促すように、岡本の顔を見つめる。 「母親は事前の約束もなく、突然学校にやってきた。私は当然、私の受け持つクラスに佐々木真衣という生徒が転入してくることは聞いていた。ただ転入試験の一つとして行われ…

見知らぬ女(20)

学校の応接室で、菜摘は岡本と向かい合う。 「真衣は、佐々木真衣は、私が高一の時に、私たちのクラスに転入してきましたよね……」 「そうだな」 「そして、高二の冬に自宅で亡くなったと聞いたのですが、それは本当でしょうか?」 まずはそのことを確かめな…

見知らぬ女(19)

5 菜摘は部屋の中に視線を巡らせる。 この高校に三年間通っていたが、応接室に入ったのは初めてだった。 職員室の隣に応接室が設けられているのは知っていたのだけど、菜摘が高校に通っていたときはその応接室に入る用事なんてなかった。職員室に用事がある…

見知らぬ女(18)

菜摘は、ぱたんとノートを閉じる。 これ以上、真衣のむき出しの悪意を見ていられなかった。 カーテンが締め切られた薄暗い部屋。カーテンの隙間から漏れる光だけでは部屋の中を照らし切ることが出来ない。菜摘は椅子から立ち上がり、カーテンを掴む。そして…

見知らぬ女(17)

ノートは数学の授業を板書したもので、その冒頭にはその授業の日なのだろう、それぞれの日付が記されている。一ページ目の冒頭には『二◯二二年一月十四日(金)』と書かれていた。 二◯二二年……一月十四日……。 今が二◯二四年なので、今から二年前。その一月と…

見知らぬ女(16)

そもそも、あの白い影は本当に佐々木真衣なのだろうか。 高校で真衣と同じクラスだった子にメッセージを送って確認した時は、『真衣は高二の冬に亡くなった』という返事が返ってきた。 自分も高二の時に佐々木真衣が亡くなったことを聞いた気がする。それは…

見知らぬ女(15)

カーテンの隙間から、秋晴れの空から差し込む日差しが漏れている。その日差しは菜摘の座っているベッドの上にまでその手を伸ばしていた。 どうすればいいのか。今、自分は何をすればいいのか。 そのことを考えていた。このままベッドの上にいても、状況は何…

見知らぬ女(14)

俯いた格好で、あの白い影がそこには立っていた。 ドアを挟んで、菜摘とその白い影は一メートルも離れていない位置に立っている。その姿を見た途端、菜摘の体は金縛りにあってしまったかのように固まった。指一本動かせなかった。恐怖のあまりその覗き穴から…

見知らぬ女(13)

菜摘はしばらくベッドの上に横たわり、闇の中で目を光らせていた。 先ほどのチャイムは、自分が寝ぼけていて、夢の中のシーンを現実の世界の出来事のように勘違いしているだけなんだと必死に自分に言い聞かせていた。こんな時間に菜摘を訪れる人なんているわ…

見知らぬ女(12)

4 その夜は、菜摘はベッドの上でなかなか寝付くことができなかった。 どうしても殺された武井有加里のことを考えてしまう。そしてその有加里の元を訪れたという白い影のことを考えてしまう。その白い影がその数時間前に、菜摘の住むこのマンションの前に現…

見知らぬ女(11)

高校の制服姿の有加里が友達と一緒に写っている写真で、有加里の隣に立つ女性生徒の顔はモザイクで消されている。だけど菜摘はその友達の顔もはっきりと思い出すことができた。有加里とよく一緒につるんでいた女子で、そして有加里と一緒になって真衣へのい…

見知らぬ女(10)

なぜ……ここにいるの……。 なぜ……こっちを見ているの……。 眼の前で起こっている事態がうまく理解できない。 ただ、体は小刻みに震え始めていた。それは決して寒さのためだけではなかった。 菜摘はベランダの地面に落ちたシャツをそのままにして、部屋の中に飛…

見知らぬ女(9)

それから数日は、菜摘の身に何も起こることなく過ぎていった。 ただ、相変わらず夜にあの公園の前を通らないようにはしていたし、夜一人で外を出歩くことも避けるようにしていた。 大学の学園祭も迫っていたが、サークルの出し物の準備には千穂に『体調が悪…

見知らぬ女(8)

三十分ほどして返信が来た。 菜摘はスマホを手に持って返信が来るのをじっと待っていたので、そのスマホが小さく震えたのにすぐ気付いた。急いでメッセージアプリを開く。そこには友達から来た次のようなメッセージが表示されていた。 『覚えているけど、ど…

見知らぬ女(7)

3 菜摘は自分の手元にあるノートの表紙をしばらく見つめていた。 佐々木……真衣……。 完全に忘れていた高校の時の記憶が次々に蘇ってくる。そして菜摘の胸の中に一つの疑問が頭をもたげ、それがみるみる大きくなっていくのにはそれほど時間はかからなかった。…

見知らぬ女(6)

それのきっかけが何だったのか、今となっては思い出せない。 おそらくほんの些細なことだったのだろう。 クラスの中で浮いた存在になっていた真衣に最初にちょっかいを出し始めたのは武井有加里だった。有加里は菜摘とは別の中学出身だったので菜摘が所属す…

見知らぬ女(5)

真衣が菜摘のクラスに転入してきた日の朝、真衣の自己紹介の時に生まれた教室の中の微妙な空気。それを引きずっているかのように、始めから真衣はクラスの中で浮いた存在になっていた。 真衣自身がクラスメートに積極的に話しかけていれば、まだ違っていたの…

見知らぬ女(4)

2 菜摘が通っていた高校は地元福井の県立高校で、その生徒たちの大部分は同じように地元の公立中学校に通っていた生徒たちだった。菜摘もその流れに流されるように中学の友人と一緒にその県立高校を受験し、その友人たちと一緒にその高校に進学した。 地元…

見知らぬ女(3)

菜摘が眠りから目を覚ますと、いつも見慣れている自分の部屋とは全く違った場所に自分がいることに気付いた。 ここは……どこだろう……。 白い壁に囲まれた細長い形をした狭い部屋で、妙に圧迫感がある。上半身を持ち上げ、ぼんやりとした目で部屋の中を見る。…

見知らぬ女(2)

なぜ、こんなところに……。 菜摘は大学進学の際に上京して来ており、それまでは福井に住んでいた。通っていた高校はその地元である福井にあり、東京からは遠く離れている。その高校の制服を着た女子生徒が深夜、東京のこんな公園のブランコの上に座っているわ…

見知らぬ女(1)

1 久保田菜摘は真っ暗な道を一人歩いていた。 左腕の腕時計を見る。その針は深夜一時を指している。 「もうこんな時間……」 菜摘が通っている大学の学園祭が三日後に迫っていた。テニスサークルに所属していた菜摘は学園祭の出し物であるクレープ屋の準備に…